英断は、光と影を孕む──批判と創造の境界線

ある企業が赤字事業の撤退を決断した。数百人の早期退職者が出た。ニュースは冷静に報じ、SNSは騒ぎ、社内はざわめいた。だが、この出来事は単なる経営判断ではない。何かが揺らいでいる──それは、組織の信頼であり、働く人の尊厳であり、そして人間の判断そのものだ。

事業撤退の背景には、長年の赤字、技術革新の遅れ、競合の台頭があった。経営陣は悩み抜いた末に、撤退という「英断」を下した。それは、企業を存続させるための選択だった。だが、その副作用は今も続いている。雇用喪失、地域経済の衰退、社員の不信感──それらはすべて、あの英断の影である。

そして今、その副作用を批判する声がある。「もっとやりようがあった」「現場を知らない経営陣の責任逃れだ」。だが、それは「あとからの批判」であり、「安全地帯からの言葉」ではないか。

危機の中で、誰もが初めての状況に立たされる。その場で見える限りの情報と資源を使って、最善の手を打つしかない。副作用を知らずに進めることもある。それは「生き延びるための代償」だ。

他人が苦境の中で必死に選び取った決断を、後になって簡単に批判するのは、誠実さに欠ける態度だと思う。その批判に時間を費やすより、社会の課題に向き合い、自分の価値を高める方が、遥かに建設的で未来志向ではないだろうか。

英断は、光と影をともに孕む。影を見て光を否定するのは、歴史への不誠実だ。

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