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季節外れのリンゴの花

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 庭のリンゴが花を咲かせた。季節外れだ、とか思いながらも、去年も同じだったことを思い出して、こういうものなのかも、とも思い始めたが、いやいや、そんなことはないと思い直した。 以前に、数年間伸び放題だった桜の木を、落ち葉が落ちる前にさっぱりと剪定したら、冬になる前に花を咲かせたことがあった。 暖かい日が何日か続いたということもあるだろうが、強剪定したことが主な原因なのだろう。実がなることはないとは思うが、花が咲くと何となく嬉しい。

春が来れば花が咲く

神様は未来のことまできちんと計画をしてくださっている。この道を通っていれば何も怖いことはなく、明るい未来が待っているだけなのだから、ただ歩かせてもらえば良い。しかし、人間は未来が見えないから、つい不安に思ってしまう。人間の親なる神様が教えて下さる方向へと歩いていれば良いのだが、つい不安になってしまうのが人間の悲しいところだ。 お道を通っていて何も良いことがないというのは、それは良いことが起こる旬ではないからだ。明治二十三年十二月十八日のおさしづには、 「春が来れば花が咲く」とある。何も良いことが起こらないのは、冬に花が咲かないのと同じだ。春まで待てば良い。

根のある花は遅なる

まじめに布教をしようと決めてから、もう一年くらい経つ。たった一年だ。初席者もできず、おたすけ先も一件か二件くらいなものである。これが仕事なら大変なことだ。会社で一年も働いていてなにの実績も出ないのなら、クビになるか、あるいはもう出世はできないだろう。しかし、それは世上のこと。神様は時間がかかるものだといつも仰る。明治二十四年十一月一日のおさしづに、 多く事情に世上の理、めん/\一人幾重の事情に、長くは先の楽しみ、短いは楽しみ無し。これ俄かに咲く花は、切って来て床へ挿してあるも同じ事。これはのじの無いものである。さあ/\これ根のある花は遅なる。なれども年々咲く。又枝に枝が栄える。根も踏ん張る。こゝの道理をよう思やんしてみよ。 すぐに結果が現れたのなら、それは「切って来て床へ指してある」のと同じだと仰る。土に根が生えている生えているわけではないのだから、美しいのはその時だけですぐに枯れてしまう。根のある花を咲かせるには、育つまで待たなければならないのだから時間がかかる。 神様がこう仰るのだから、あせらずにコツコツ布教に歩かせてもらおう。

天理教の教えは簡単だが

天理教の教えは難しいものではない。基本的な教理といえば、元の理、十全の御守護、八つの埃くらいなものであり、その実践的な行いはすべておやさまのひながたとしてお通りくだされてある。覚えるべきことは極めて少ない。毎日拝読していれば頭に入ってくるだろう。無理に覚える程でもない。 天理教の教えは難しくはないのだが、それを実践するのが難しい。明治二十年十一月八日のおさしづには、 さあ/\身の内の処よう聞き分けねばならん。さあ/\神の方には不足の身体は貸してない。不足というは、めん/\の心より。成程結構という事は分かるである。一寸道歩く。あゝ綺麗な花やなあと言うて通ったまで。さあ誠一つ願う時の心定めねばならん。内々めん/\身に知らす。 とある。なるほど、結構だということまでは誰でも分かるほど、天理教の教えはありがたいが、そう思っているだけでは「あゝ綺麗な花やなあと言うて通ったまで」と神様は仰る。綺麗な花を眺めているだけのことであって、綺麗な花を咲かせたわけではない。 自らが綺麗な花を咲かせるには、なるほど、結構と思うだけではなく、それを日々に実践していかなければならない。おさしづにもおふでさきにも、このような意味のことがよく書かれている。著名な布教師の先生方は、本気で実践されたのだろうかと。