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人間をはじめかけた証拠だから

おふでさきの第十七号九番のおうたに にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑておくぞや とある。現代日本語にすれば、「人間を始めけけたる証拠に甘露台を据えておくぞや」となる。人間を始めかけた証拠として甘露台を据えておくということだが、何が証拠になるのだろうかと、そんなことを昔から考えていた。 ふと思い出したのが師匠の言葉だ。「この道は証拠信心だ」とよく仰っていた。その意味は師匠がおっしゃるには、この道は本物の神様が教えてくださったのだから、その証拠を必ずお示しくださる。この教えは本当の教えだという証拠を神様から与えてくださったからこそ、先人はこの道を真剣に通ってこられたのだと。 証拠というのは、本当の神様である証拠であり、神様の仰っていることが本当であるという証拠であって、それは何らかの具体的な現象として現れるものであると、昔はそんな意味で使われていたのだろう。 おたすけにかかったとき、わざわざ御本部の神殿まで行き、甘露台の前で願うわけだが、それで御守護を頂いたという経験は誰もが持っていると思う。甘露台に向かって願えば御守護をいただける、ということは当たり前のようであるが、それが甘露台が人間を始めだした場所であることの証拠であるということなのだろう。

おふでさきを覚えようとしてやめた

おふでさきを暗記しようとしたことがある。若気の至りだ。ある師匠はほとんど覚えていると仰っていた。頑張って覚えたのではなく、拝読しているうちに覚えてしまったそうだ。 ふと思い出して覚え直してみようかと一瞬だけ思ったのだが、やっぱりやめた。おさしづに「忘れるからふでさきに知らし置いた」とあるのを思い出してやめた。 人間が書き残したものならいずれなくなってしまうかもしれないから覚えておかなければならないが、人間が忘れてしまうことを前提として書かれたものを、神様が残さないはずがない。 まあしかし、覚えてしまいそうになるくらい拝読させてもらおうとは思う。

おふでさきの最初と最後

詰所では毎晩おふでさきを拝読していて、最後まで読み終えると最初に戻って読むことになっている。このタイミングで、なんとも言えない気持ちになる。 おふでさきの終わりのほうには、「ざねんりいふく」などの言葉が多く現れる。 第一号を読み始めると、陽気ぐらしをさせてやろうという親心を強く感じる。この部分だけ読めば、陽気ぐらし世界はすぐに完成するんだろうと思えてくる。 神様は陽気ぐらしをさせるために、すでに十分な計画を立てておられたのだろう。その上でおやさまを月日の社と定められた。そして、人間の自分勝手な心によって計画は頓挫したところでおふでさきは終わる。 いつも申し訳ない気持ちになる。

神様のお手入れ

神様は陽気ぐらし世界を実現するために多くの人を必要としている。そのために必要なのが「ようぼく」である。このようぼくは親神様がお引き寄せくださり、お育て下さるのである。これが「ていり」である。「ていり」とは、今の日本語で言えば「手入れ」であると考えられる。 神様は多くのようぼくを必要とされていて、そのようぼくは神様が手入れしてくださるのである。木に例えて教えてくだされているのであるから、木が育つイメージを持っておく必要はあるだろう。 植栽された苗木は水や光、その他の栄養によって育って大きくなる。これを材木として使うためには枝打ちなどの手入れを行わなければならない。枝打ちの目的はいくつかある。 木が育つにつれて林の中は暗くなる。そして下の方にある日の当たらない枝はやがて枯れる。この枝が残っていると、そこから害虫が入ることもあるし、また枯れずに大きく育つと、木材にした時に節として残ってしまう。不要な枝を早めに落としてしまうことで、将来は良い材木として使うことができる。 おふでさきに いかなきもをふくよせてハあるけれど いがみかゞみハこれわかなハん  (三号五十) とある。神様から見た手入れというのは、立派に育つためには必要なものである。が、木の気持ちになってみるとどうだろうか。暑い夏に光を浴びて、そして冬には寒さに耐えて伸ばした枝を落とされてしまうのである。喜べることではないだろう。 にち/\によふほくにてわていりする どこがあしきとさらにをもうな   (三号百三十一) と仰せられる。神様が人間を手入れされるときも同じで、おそらく人間にとっては嫌なことであったり、辛く悲しいことであったりするのだろう。しかし、「どこが悪しきとさらに思うな」と仰るように、どこかが悪かったのではなく、それは将来のための手入れなのである。手入れがなければ嫌な思いやつらい思いをしなくて済むのだろうが、それを経てはじめてようぼくとなれるのである。もしも手入れがなかったらどうなるのだろうか。 をなじきもたん/\ていりするもあり そのまゝこかすきいもあるなり  (三号百三十二) 同じような木であっても、手入れするものと、そのまま「こかす」ものとがある。「こかす」とは「切り倒す」、「伐採する」という意味である。つまり、手入れするものと、切り倒されるものとがあると、こう...