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ワクチン3回目予約してきた

 ワクチンの接種券が届いたので予約しようとスマホを開いてまごまごしていた。そもそも土地勘がない。 そういえば、役所に行けばすぐに予約ができると教えられたことがあるので、行ってみることにした。 ウェブ予約おたすけ隊というサービスだということも、役所に行ってから知った。おそらく学生さんだろうと思うが、若い人が接種会場を探してくれた。「できるだけ早い日でお願いします。」と伝えたら、「HAT神戸なら明日に接種できますよ」とすぐに教えてくれた。その場で予約をした。 キャンセルの仕方、会場の変更の仕方など色々聞いてみたら、丁寧に教えてくれた。ありがたいことだ。 混雑はしていなかった。もっと利用すればよいのに、と思う。

文化とか伝統とか

 ある熱心な信者さんから聞かせていただいたこと。子供が学校へ通い始めると、学校でいろんな遊びを覚えてくる。上の学年の子から教えてもらうそうだ。その子が上の学年になれば、また下の子に教えていく。そうやって、いろんな遊びが伝えられていくそうだ。 我々は文化だとか伝統だとか、そういうものを大切にしているが、そもそもそれをやり始めたのが誰なのかということが分からないものも多いように思う。おそらく、誰かがやり始めたことを、次の世代が「あの先生のされていたことだから理があるのだろう」とか言いながら伝えられていき、何代か経つと、それをしなければ助からない、などということになってしまう。 そんなことをしながら、訳のわからない文化や伝統がたくさん出来上がり、それを守るためだけに時間も労力も費やさなければならないくなる。なぜそれをするのか分からないまま代々続けていることはないだろうか? ありがたいことに、天理教には原典がある。訳のわからない文化や伝統が増えてきたときに、果たしてそれを守るべきなのかどうかを判断することは難しくはない。 誰が始めたのか分からない文化や伝統だから、すぐにやめてしまったほうが良いと言いたいわけではない。教えに基づかない風習であっても、それを守ることに意味がある場合もある。が、今はできることが限られているのだから、何を優先すべきかを考えていかなければならない。 今はやめるチャンスだ。何を守るために何をやめるべきだろうか。今しかやめられないことは何なのだろうか。

ウイルスも必要

世の中はコロナウイルスで大騒ぎだ。神様はなぜこんなことをされるのだろうと思うこともあるが、それは神様の親心を私が理解できないたけのことだろう。 ウイルスは害を及ぼすだけのものだと思われがちだが、そんなことはない。多くの生物の進化に関わってきたそうだ。具体的には、哺乳類の胎盤の形成にはレトロウイルスが大きな役割を果たしてきたことが分かっている。ウイルスというものが存在しなければ、今の人間は存在しないのかもしれない。 もしかすると、コロナウイルスも何か大きな役割を果たしているのかもしれない。これだけ多くの人が感染すれば、いくらかの影響があっても不思議ではない。あのときに人類は進化したんだと、ずっと先に解明されるかも。 などと妄想してみたが、それを知る術はない。神様の親心は大きすぎて、人間が想像することすら難しいのだろう。が、すべては世界一列を救けるためになされること。分からないけれども感謝して通らせていただきたい。

ぼちぼち行こか

コロナで何もできない。無理やり病院に行っておさづけを取り次ぐなんてことはすべきではない。月次祭も地味にしかできないし、行事もできない。こんなに何もしなくて良いものかと思わないでもないが、まあ、おさまるまではおとなしくしておこうかと思う。逸話篇に さあ/\悪風に譬えて話しよう。悪風というものは、いつまでもいつまでも吹きやせんで。吹き荒れている時は、ジッとすくんでいて、止んでから行くがよい。悪風に向こうたら、つまづくやらこけるやら知れんから、ジッとしていよ。又、止んでからボチボチ行けば、行けん事はないで。 とある。止んでからぼちぼち行くのが良いな。   

コロナの中参拝に行くべきかどうか

コロナで世の中は大変だ。行事がほぼなくなった。おぢばへ参拝に行くべきかどうか、悩むところだ。 いろいろな考え方あるだろう。 コロナくらいで参拝をやめるべきではないという思いがないわけではない。参りにくいところを参るからこそ神様は受け取ってくださると、そんなことをどこかで聞いたことがあるような気もする。 本部の月次祭を殿内では参拝できないが、境内地の外から参拝している人もごく少数だがいるにはいる。これはこれで誠真実だと言えるのかも。 やはり人を不安にさせるべきではないだろうし、この状況も神様が用意してくださったわけだから、今はできることをやろうという思いで、自宅から遥拝させていただくというのも、誠真実だと思う。 どうするのが正解なのかは、おそらく現時点では分からない。何年か先、あるいは何十年も先になって、やっと分かることではないかと思う。天の定規に当ててみると、どれも隙きがありそうに思う。 ただ、思い悩んだ挙げ句に出した答えが唯一正しいと思うのは違うと思う。これが正しいと思ったとしても、そう思わない人を否定すべきではない。 「コロナくらいで参拝をやめるのは信心が足りないからだ」と人を否定したり、「こんなときに参拝に行くなんて非常識だ」と言ってみたり、お互いを否定し合うようなことは避けるべきだろう。