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掌に沈む──誠実さが企業を滅ぼすとき

企業が滅びるとき、そこにはしばしば裏切りがある。顧客を見捨て、社内の論理に溺れ、時代の声を聞かずに沈んでいく。そうした滅びは、冷たく、当然のように語られる。だが、すべての滅びがそうではない。Palmという企業は、顧客を裏切らなかった。むしろ、顧客の満足を守るために、変わることを拒んだ。その誠実さが、静かな沈黙へとつながっていった。 かつて、情報は掌に宿っていた。Palmの端末をクレードルに置き、パソコンを立ち上げ、COMポートの設定に苦しみながらも、HotSyncのボタンを押す。それは不便だった。だが、そこには確かな手触りがあった。情報を自分の手で整え、持ち歩くという感覚。Palmは、その感覚を信じ、顧客と共に歩んだ。 後期のPalmにはWi-Fiが搭載された。だが、設定は煩雑で、同期は依然として儀式のままだった。一方、AndroidやiPhoneは、IDとパスワードを入力するだけで、世界が戻ってくる体験をもたらした。同期は背景処理となり、儀式は消えた。技術は、便利さと引き換えに、手触りを失った。 Palmは、少数の顧客に深く愛されていた。その顧客の満足を守るために、企業は変わることを躊躇した。そして、顧客と企業は、互いに裏切ることなく、静かに沈んでいった。それは敗北ではない。それは、誠実さの果てに咲いた、静かな花だった。 経営とは、時に残酷な選択を迫る。顧客の声に耳を傾けることが、未来への扉を閉ざすことになる。Palmは、その扉を開けなかった。顧客を裏切らなかった。だからこそ、滅びた。だが、その滅び方は、美しかった。 さて、我々はどうだろうか。

腐敗について誤解なきように

 誤解されないように念の為に書いておこうと思う。組織は腐敗するのが普通だ。それを批判しようとは思わない。人間が老化していくのと同じように、組織は腐敗していく。それくらい当たり前のことだ。 何十年も腐敗せずに続いている組織は、人が入れ替わり、風土も変わり、時には組織が一新されている。例えば会社なら取締役が総入れ替えになったり、事業内容がガラッと変わったりすることも珍しくはない。そうやって存続しているが、実質的には生まれ変わっているようなものだ。 創業は易く守成は難し などと言う。創るよりも維持するほうが難しいというのは、古くから知られてきたことだ。 どの会社も腐敗を防ぐために多くのコストをかけている。試しに「腐敗 組織」や「会社 腐敗」などでググってみると良い。腐敗を防ぐ完璧な方法というのはおそらくないと思うが、何もしなければ組織は確実に腐敗していくことを知っておくのは必要条件だろう。

魚は頭から腐るそうだ

 「魚は頭から腐る」とよく聞く。組織は上層部から腐敗してゆく。誰が悪いというのではなく、人間がたくさん集まって組織を作れば、腐敗していくのが普通だ。だから、特に上層部にいる人間は特に気をつけなければならない。おさしづに、 細い道は通りよい、往還は通り難くい。 とある。苦労しなくて進行の形を作れる環境にいると、その環境に安住しがちだ。それが因縁を呼び覚まし、癖性分として現れるから、腐敗につながる。 細道は気をつけて通る。形式的な信仰ができない環境にいると、心を改めることに注力するしかない。そういう意味では、形の信仰をしにくい状況のほうが心の信仰はしやすいのかもしれない。 だからといって、ある程度は出来上がっている組織をすべて潰すわけにも行かない。とにかく腐敗しないように気をつけるべきだろう。 腐敗するのは人が悪いからではない。善良な人ばかりが集まっても組織が大きくなれば上から腐敗が広がっていく。だから、腐敗しているからと言って誰かを責めるべきではない。それぞれが腐敗しないように意識してく以外に腐敗を防ぐ方法はなさそうだ。 上層部の不祥事が漏れ聞こえてくるのは、腐敗が進んでいることを意味しているんだろうとは思う。見るも因縁。我々も気をつけなければ。 関係ない話だが、「魚は頭から腐る」というけれども、本当は腹から腐るはず。

おぢばの学校が減るそうだが

 おぢばの高校は天理高校だけになることはすでに決まったことだが、先日、教会へ行ったときにこの話題になった。 教校学園をなくす理由は、もちろん多くの理由があるだろうが、一つには組織が出来上がりすぎたからだそうだ。彼が言うには、いつ何をするのか、それが完成されていて、その通りにすれば何も困らず運営ができる。かつて存在した付属高校や第二専修科も同じだと彼はいう。 一つ一つの手続きは試行錯誤の末に作られたものであり、すべてに意味がある。もちろんその意味を伝えながら手続きも伝えていくわけだが、意味は忘れられても手続きさえ分かれば運営はできる。人から人へと伝えていくのだから、組織が長く続けば、そのうち意味のわからないことだらけになってくると。 さて、見るも因縁だ。自分の周りにもそんなことがないだろうか。 多くの行事が中止されている今だからこそ、一つ一つの意味を考えてみるのも良いかもしれない。