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「株価指数連動型ランチ」のすすめ:暴落をバーゲンセールに変える遊び心

​自分のお金を株や投資信託に投じることに、少なからぬストレスを感じる人は多いのではないだろうか。価値が下がるかもしれないものを買うのは、本能的な恐怖を伴う。ましてや下落の最中には底が見えず、足がすくむのも無理はない。 ​しかし、インデックス投資の本質は、こうした局面で淡々と買い続けることにある。かといって、暴落を待ってキャッシュを遊ばせておけば、上昇局面での機会損失を招く。この矛盾をどう解消すべきか。 ​かつてリーマン・ショック後、私は「禁煙投資」という遊びに興じていた。 当時、なかなかやめられずにいた煙草だったが、相場が下げて「バーゲンセール」が始まると、不思議と一日くらいは我慢ができた。当時の煙草は一箱数百円。SBI証券の「S株(単元未満株)」を利用すれば、大手企業の株が一株単位で買えた時代だ。ちょうど煙草代と同程度の株価の銘柄が、いくつも転がっていた。 一箱を我慢する代わりに、企業のオーナーになる。月々の積み立てとは別の、このささやかな「逆張り」が、投資への恐怖を攻略する鍵となった。 ​現在、私は煙草をやめて久しいが、あの時の感覚を思い出し、新たに始めたのが「株価指数連動型ランチ」である。 ルールは至ってシンプルだ。株価が大きく下げている日、ランチのグレードを少しだけ下げる。そして浮いた数百円分だけ、インデックスファンドを買い増すのだ。 ​この投資法を実践する上で、守るべき鉄則が二つある。 ​第一に、決して無理をしないこと。 下落局面での買い増しは合理的だが、精神的な負荷も大きい。そのストレスで投資自体が嫌になってしまえば本末転倒である。あくまで「投資資金を必死に捻出する」のではなく、「本来消費するはずだった分を、未来へスライドさせる」という軽やかな感覚が重要だ。 ​第二に、義務化しないこと。 相場が下げていても、どうしても食べたいランチがあるなら、迷わずそちらを選ぶべきだ。飽きたら、あるいは気が向かなくなったら、いつでもやめていい。 ​メインの航路は、あくまで月々の積み立てである。それだけで十分なのだ。 「株価指数連動型ランチ」は、相場の荒波を乗りこなすための、ちょっとした「精神修行」であり「遊び」に過ぎない。しかし、こうした小さな積み重ねこそが、将来のランチを少しだけ豪華にするための、確かな種銭となるのである。

インデックス投資と「理」にかなった資産形成

インデックス投資、特に全世界株式への投資が、我々にとって最も「理」にかなった方法ではないかと考えている。 ​昨今の急激なインフレを目の当たりにすれば、何らかの形で投資を選択せざるを得ない。将来のために預かっている資金の価値が目減りしていくのを、ただ指をくわえて待っているわけにはいかないからだ。 ​かつて、先人たちは「土地」を保有することで資産を形成してきた。それが結果として、インフレに対する確かな備えとなったのである。数十年前、まだ価値が低かった頃に取得した土地を売却し、それを元手に新たな土地建物を購入したという事例は、我々の周囲にも数多く存在する。 ​しかし現代において、同じ手法が通用するかと言えば、決してそうではない。不動産をめぐる環境は大きく変わり、「土地さえあれば安心」という時代は過ぎ去った。確実に価値を保てるのは一等地に限られるが、それを個人が取得し、維持し続けることは極めて困難である。 ​現代におけるインフレ対策の主流は、株式の保有であろう。 だが、株式投資は一歩間違えれば「ハイリスク・ハイリターン」な賭け事の側面を帯びる。これでは、神様が戒められている「暴利をむさぼる」という心に、知らず知らずのうちに陥ってしまう危うさがある。 ​「暴利」がどの程度の利益を指すのかという解釈は難しいが、世界経済全体の成長という「市場の平均リターン」を享受することは、決して暴利には該当しない、自然な果実の受け取り方であると考えるのが妥当だ。 ​「ここが上がる」と目星をつけて特定の銘柄に集中投資するのではなく、世界全体の平均を狙う。これこそが、自分自身の「欲の心」を抑え、最も穏やかな心でいられる方法ではないだろうか。 ​私個人は、MSCI ACWI(全世界株式)に連動するインデックスファンド、いわゆる「オルカン」を保有することに決めたが、全世界に広く分散投資できるものであれば、その種類は問わないと思う。 ​大切なのは、自分の浅知恵や欲で立ち回るのではなく、世界の成長という大きな流れ(理)を信じて、淡々と種を蒔き続けることだ。これが、今の時代における一つの「備え」の形であると確信している。 ​※これは現時点での見解であり、今後の状況の変化によって変わり得るということを付け加えておく。

すべてを慈しみ、すべてを願う —— 宗教家が「オルカン」に行き着いた理由

私は今、運用資産のすべてを「eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)」、いわゆるオルカンに委ねている。 かつては個別銘柄や特定のテーマ型投信を手にしていた時期もあったが、拭いきれない「違和感」が常に心の片隅にあった。その正体を見つめ直したとき、私は一つの確信に至った。 ​ 「宗教家こそ、オルカンであるべきではないか」 ​人間という生き物は、物事を完全に切り離して考えることはできない。投資と日常生活、あるいは信仰と経済活動を別物として割り切れるのなら、手法は何でもよいのかもしれない。しかし、現実はそうはいかない。 ​例えば、ある特定の企業の株を持つとする。 その瞬間に、私の心には「偏り」が生じる。もし出会った人がその企業の従業員であれば、私は純粋な「一対一の人間」としてではなく、「株主と労働者」という歪んだレンズを通して相手を見てしまうかもしれない。無意識にひいき目を向け、あるいは傲慢な期待を寄せてしまう。それは、人として対等に接するべき礼節を欠く行為ではないか。 ​もし、出会った人がライバル企業で懸命に働いていたらどうだろう。 その人の努力が実を結び、成果を上げることは、私の保有銘柄の価値を下げる要因になるかもしれない。その時、私は隣人の成功を心の底から祝福できるだろうか。他者の研鑽や繁栄を喜べないほど、宗教家として、いや、一人の人間として悲しいことはない。 ​業界単位で買えば済むという話でもない。特定の業種を選び取れば、選ばなかった他の業種が躍進したときに、何とも言えぬ「悔恨」が胸をかすめる。日本全体を買えばよいという考えもあるが、それでは隣国の繁栄を、自国の相対的な衰退として捉えてしまう危うさが残る。 ​ だからこそ、私は世界のすべてを抱きしめることにした。 ​オルカンという選択は、地球上のあらゆる営みを肯定することに他ならない。 世界のどこかで誰かが汗を流し、創意工夫を凝らして価値を生み出したとき、私はその成功を共に喜ぶことができる。どの国が豊かになっても、どの民族が反映しても、私の祈りと投資の果実は同じ方向を向いている。 ​誰が頑張ってもいい。誰が幸せになってもいい。 世界中の人々の幸福を願い、一切の差別のない慈悲の心を保つために、私の精神を妨げないのは、今のところオルカンしかないのだ。 ​これが、私が辿り着いた「...