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神戸は山が近くて良い

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神戸は景色が良い。車で少し走れば六甲山に登ることができる。山頂近くまで登らなくても、少し登るだけで十分に景色が良い。 プロのカメラマンではない私が撮影したのだから、もちろん実物はもっと素晴らしい。撮影した場所は灘丸山公園。海まで見える。 こんなスポットが身近にあるというのが、神戸の魅力の一つだろう。 ちなみに灘丸山公園には広い芝生の広場と遊具がいくつかあって、無料駐車場もあるので、子供を遊ばせるにはちょうどよい。

inkscapeのショートカットキーが反応しないとき

 inkscapeのショートカットキーが反応しなくなった。いつからか分からない。コピペなどもアンドゥーも面倒くさくて仕方なかった。こんなときはグーグル先生だ。 「inkscape ショートカットキー 反応しない」でググれば色々と出てきたが、私の場合、言語を追加するという方法で解決した。ちなみに環境はWindows10だ。 言語を追加するというのは、Windowsの方で設定する。コントロールパネルから言語の追加を探すわけだが、追加する言語は「英語(米国)」だ。追加してinkscapeを再起動するとショートカットキーが反応するようになった。 やっぱ、ショートカットキーがあると格段にスピードが上がる。

神戸に移住した

 神戸に移住した。 大阪からはそれほど遠くはないが、移住する前には訪れたことがあまりなかった。正直なところ、あまり知らなかったわけだが、移住してみると魅力的なところがたくさんある。 例えば、六甲山がいつでも見える。今の時期なら、そろそろ紅葉が始まるのだろう、などと思いながら四季を感じて毎日すごしている。天気によっても山の雰囲気も変わる。美しいなと思いながら毎日を過ごしているのだが、神戸の人はそれほど感動しないらしい。六甲山が見えるのは当たり前だからだとか。 神戸に移住してきた人間のほうが、神戸の魅力に気づきやすいのだろう。せっかくなのでブログに書いていこうかと思う。

逸話篇二十四 よう帰ってきたなあ

 逸話篇 二十六 目が見えなくなった彦太郎が、おやさまに救けてもらう話である。彦太郎はおやさまに このままで越すことかないません。治して下さるのでしたら、どんな事でもさしてもらいます。 と申し上げてご守護をいただくわけである。この「どんな事でもさしてもらいます」というところに神様はご守護くださるのだろう。 「私はこういう資格を持っていますので、それを生かせるような御用を勤めさせていただきたい」などと言ってみたり、「この御用なら勤めさせてもらいます」などと言ってみたりするのが人間心であり、御守護はいただきにくい。 「どんな事でも」と神様と約束してしまうと、もちろん不得意なこと、嫌なこと、都合の悪いこともしなければならないわけだが、それを承知の上でどんな事でもさせていただくという心に神様は御守護を下さるのだろう。 特技を生かして仕事をするのは良いことだとは思うが、それは人間の社会の中のこと。特技を生かして御用を勤めさせていただこうなどと考えるべきではないと私は思う。

逸話篇二十一 結構や、結構や

 悪いことが起こるのは、決して悪いことではない。と言うと、意味がわからない人もいるだろうが、恐らく信仰者なら理解できるはずだ。 逸話篇の二十一「結構や、結構や」では、山中忠七先生が洪水の被害に遭われる。おやさまに伺うと、 さあ/\、結構や、結構や。海のドン底まで流れて届いたから、後は結構やで。信心していて何故、田も山も流れるやろ、と思うやろうが、たんのうせよ、たんのうせよ。後々は結構なことやで。 と、おやさまは仰った。先生の前生がどのようなものなのかは分からないが、これによって前生の因縁を納消できたのだから、あとは余計な埃を積まずにたんのうしておけば良いという意味で、おやさまは仰ったのだろう。 神様の世界に運や偶然というものはなく、全てには理由がある。悪いことが起こるのは、もちろんその因縁があるわけだが、たんのうさえしていれば、神様は因縁を少しずつ切ってくださる。 悪いことが起こるたびに、魂は少しずつ澄んでいき、陽気暮らしへと近づいていくのだから、ありがたいことだ。

バリスタアイの水切れランプが点灯して停止する

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 バリスタアイの水切れランプが点灯して止まるという現象が続いた。水は十分にあるにも関わらずだ。掃除しても治らない。いろいろ試してみたが、サポートセンターに電話をして解決した。 詳しいことはわからないが、「撹拌部」というところが詰まっているそうだ。電話をすると、撹拌部を掃除するためのものを送ってくれた。 使い方の書かれた紙もついていたので、そのとおりにやってみると、たしかに治った。良かった。 ちなみに、バリスタアイは買ったものではなく、リースとかでもない。何のキャンペーンだったか忘れたが、ゴールドブレンドを3つ買ってもらったやつだ。それでもサポートが対応してくれるのはありがたいなぁ。

おぢばの学校が減るそうだが

 おぢばの高校は天理高校だけになることはすでに決まったことだが、先日、教会へ行ったときにこの話題になった。 教校学園をなくす理由は、もちろん多くの理由があるだろうが、一つには組織が出来上がりすぎたからだそうだ。彼が言うには、いつ何をするのか、それが完成されていて、その通りにすれば何も困らず運営ができる。かつて存在した付属高校や第二専修科も同じだと彼はいう。 一つ一つの手続きは試行錯誤の末に作られたものであり、すべてに意味がある。もちろんその意味を伝えながら手続きも伝えていくわけだが、意味は忘れられても手続きさえ分かれば運営はできる。人から人へと伝えていくのだから、組織が長く続けば、そのうち意味のわからないことだらけになってくると。 さて、見るも因縁だ。自分の周りにもそんなことがないだろうか。 多くの行事が中止されている今だからこそ、一つ一つの意味を考えてみるのも良いかもしれない。