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一一四 よう苦労して来た かしものかりものの理の本質は因縁

 逸話篇の114「よう苦労して来た」に泉田藤吉先生の話が出ている。初めて読んだときに違和感を覚えた。が、最近、謎が解けた。ある先生の一言だ。「かしものかりものの理の本質は魂の連続性だよ」、この一言だ。つまり、本質は因縁である。このことを踏まえて逸話篇を読むと分かりやすい。 泉田藤吉先生は十三峠で追い剥ぎに遭遇する。その時、かしものかりものの理が頭に浮かんだ。追い剥ぎが「前生に貸したものを早く返してくれ!」と言っているように思ったのだろう。 それで、着物と財布を差し出した。「前生からお借りしていたものをお返しします。ありがとうございました。」、という気持ちだったに違いない。 しかしそれは泉田先生の勘違いであって、追い剥ぎは何も盗らずにその場を去った。先生は着物を着て再びおぢばへと歩き始めた。 こういう話であろう。かしものかりものの理が心におさまるというのはこういうことなのだろう。

ブログはじめました

 コロナで大騒ぎしている相場を見て、居ても立っても居られなくなってしまった。久しぶりに証券会社のウェブサイトにログインして取引をした。 もちろん、コロナの大暴落で当初は大赤字。まあしかし、そういうときこそチャンスだ、と思いながらコツコツ売り買いしていたら、昨日あたりからプラスに転じた。 そんなわけで、少し余裕ができてきたのでブログに色々書いてみることにした。

匿名だから気をつけるべき

 蒔いた種は必ず生えるわけだが、それがどう育つのかは蒔き方やその後の丹精によって変わってくる。石の上に種を蒔けば、生えてはくるが育ちはしない。見えるところに蒔いても意味がなく、正しく蒔けば土の中に埋もれて、見えることはない。 見えなくても必ず生えてくるわけで、その後は神様の御守護で勝手に大きく育つ。蒔くだけ蒔いて、あとは何もしなくて良い。 良い種を蒔いたのなら、誰にも見られないようにそっとしておけば良いわけで、自分がこんな素晴らしいことをやったと宣伝する必要はない。 悪い種を蒔いたのなら土の中においておかずに、掘り返して人目につくところへおいておけば良い。私はこんな悪いことをしました、申し訳ございませんでしたと頭を下げておけば、わるい種から芽が出ても枯れてゆく。 匿名で人に嫌な思いをさせてしまわないように気をつけなければならない。悪い種を蒔いて、その種を見えない土の中にきちんと隠しておけば、もちろんきちんと生えてくる。そのまま放置して自然に任せて育てるから、気がついたときには大木になっている。恐ろしい。 匿名で良いことをしよう。 良い種を蒔いて、そっと土の中に埋めておこう。 気がついたときには、大木に育っているだろう。

言うたらあかんがな

ある偉い役員先生がお話しくださった。陰の徳という話だ。だいたいこんな話だった。 陰で良いことをすれば、それは自分の魂の徳になるのですが、しかし、お礼を言われたり褒められたり、あるいはお金や物をもらったりすると、それで帳消しになってしまいます。ですから、陰で良いことをするように心がけていただきたい。私もこの何十年の間、陰でこれこれこういうことをずっと続けております。 と、詳しく説明してくださった。 言うたらあかんがな。

コロナの中参拝に行くべきかどうか

コロナで世の中は大変だ。行事がほぼなくなった。おぢばへ参拝に行くべきかどうか、悩むところだ。 いろいろな考え方あるだろう。 コロナくらいで参拝をやめるべきではないという思いがないわけではない。参りにくいところを参るからこそ神様は受け取ってくださると、そんなことをどこかで聞いたことがあるような気もする。 本部の月次祭を殿内では参拝できないが、境内地の外から参拝している人もごく少数だがいるにはいる。これはこれで誠真実だと言えるのかも。 やはり人を不安にさせるべきではないだろうし、この状況も神様が用意してくださったわけだから、今はできることをやろうという思いで、自宅から遥拝させていただくというのも、誠真実だと思う。 どうするのが正解なのかは、おそらく現時点では分からない。何年か先、あるいは何十年も先になって、やっと分かることではないかと思う。天の定規に当ててみると、どれも隙きがありそうに思う。 ただ、思い悩んだ挙げ句に出した答えが唯一正しいと思うのは違うと思う。これが正しいと思ったとしても、そう思わない人を否定すべきではない。 「コロナくらいで参拝をやめるのは信心が足りないからだ」と人を否定したり、「こんなときに参拝に行くなんて非常識だ」と言ってみたり、お互いを否定し合うようなことは避けるべきだろう。

マグネシウム粒が便利だわ

おぢばへ行ったり、布教に出たりしていると、自宅以外のところに宿泊することが多い。今はちょうど教養掛でおぢばにいる。 こんな生活に便利な洗剤がマグネシウム粒だ。洗濯用のマグネシウムというものが販売されていて、確か1キロで3000円くらいだった。100グラムくらいあれば、私の洗濯物はきれいになる。300回くらいはくり返し使えるということなので、もう10年くらい洗剤を買わなくて良い。 もともとこれを知ったのは、ベビー用品だ。洗濯マグちゃんという名前のベビー用洗剤が販売されていた。うちの息子のために買ったのだが、いろいろ調べていると、マグネシウムが安く売っいることが分かったので、試してみることにした。 今の所、汚れはよく落ちる。洗剤としては十分な能力がある。 メリットはたくさんあるように思う。例えば、安いとか肌に優しいとか、これは大きなメリットだ。私にとって一番のメリットは、面倒くさくないことと持ち運びが楽なことだ。 使い方だが、私の場合、マグネシウム粒100グラムくらいを小さい洗濯ネットに入れている。洗濯するときには、洗濯物を大きめの洗濯ネットに入れて、その中にマグネシウム粒の入ったネットを入れる。というか、入れっぱなしだ。 どこかに宿泊するときに、毎回洗剤を持っていくのは面倒だ。体積がそこそこあるから邪魔だし、入れ物の蓋が開いてかばんの中が粉だらけになったこともある。液体洗剤にしたこともあるが、重くて嫌になる。 マグネシウム粒なら、全部解決だ。

願い通り生まれて来たかも

陽気暮らしの世界になると、出直す日時を決め、出直す先を決めて神様にお願いをすると、その通りになると、船場の初代の会長様の話にある。 あるおじいさんが出直すときの話で、おじいさんは出直すと決めた日に親戚を集めてお祝いの席を設ける。その席の中で親戚たちは「おじいさん、うちへ生まれ変わってきてください。」と口々に言うと、おじいさんは、どこそこへ生まれてやろうと言ってから息を引き取る。しばらくすると、その家に子供ができる。何年先に生まれてくるのかを神様に願っておけばその通りになるそうだ。 まだ今は陽気暮らしの世界ではないからその通りにはならない。しかし、少しはそんなことができるのかもしれない。例えば、前生の最期に、次はどこそこへ生まれて来たいと願ったのかもしれないし、次もこの人と一緒にいたいと思ったのかもしれない。 前生でどう思ったのかは神様にしか分らないことだが、神様はいつも優しいから願いを叶えてくれたのだろうと思うと、身近な人は大切にしなければならないつくづく思う。