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コロナの中参拝に行くべきかどうか

コロナで世の中は大変だ。行事がほぼなくなった。おぢばへ参拝に行くべきかどうか、悩むところだ。 いろいろな考え方あるだろう。 コロナくらいで参拝をやめるべきではないという思いがないわけではない。参りにくいところを参るからこそ神様は受け取ってくださると、そんなことをどこかで聞いたことがあるような気もする。 本部の月次祭を殿内では参拝できないが、境内地の外から参拝している人もごく少数だがいるにはいる。これはこれで誠真実だと言えるのかも。 やはり人を不安にさせるべきではないだろうし、この状況も神様が用意してくださったわけだから、今はできることをやろうという思いで、自宅から遥拝させていただくというのも、誠真実だと思う。 どうするのが正解なのかは、おそらく現時点では分からない。何年か先、あるいは何十年も先になって、やっと分かることではないかと思う。天の定規に当ててみると、どれも隙きがありそうに思う。 ただ、思い悩んだ挙げ句に出した答えが唯一正しいと思うのは違うと思う。これが正しいと思ったとしても、そう思わない人を否定すべきではない。 「コロナくらいで参拝をやめるのは信心が足りないからだ」と人を否定したり、「こんなときに参拝に行くなんて非常識だ」と言ってみたり、お互いを否定し合うようなことは避けるべきだろう。

マグネシウム粒が便利だわ

おぢばへ行ったり、布教に出たりしていると、自宅以外のところに宿泊することが多い。今はちょうど教養掛でおぢばにいる。 こんな生活に便利な洗剤がマグネシウム粒だ。洗濯用のマグネシウムというものが販売されていて、確か1キロで3000円くらいだった。100グラムくらいあれば、私の洗濯物はきれいになる。300回くらいはくり返し使えるということなので、もう10年くらい洗剤を買わなくて良い。 もともとこれを知ったのは、ベビー用品だ。洗濯マグちゃんという名前のベビー用洗剤が販売されていた。うちの息子のために買ったのだが、いろいろ調べていると、マグネシウムが安く売っいることが分かったので、試してみることにした。 今の所、汚れはよく落ちる。洗剤としては十分な能力がある。 メリットはたくさんあるように思う。例えば、安いとか肌に優しいとか、これは大きなメリットだ。私にとって一番のメリットは、面倒くさくないことと持ち運びが楽なことだ。 使い方だが、私の場合、マグネシウム粒100グラムくらいを小さい洗濯ネットに入れている。洗濯するときには、洗濯物を大きめの洗濯ネットに入れて、その中にマグネシウム粒の入ったネットを入れる。というか、入れっぱなしだ。 どこかに宿泊するときに、毎回洗剤を持っていくのは面倒だ。体積がそこそこあるから邪魔だし、入れ物の蓋が開いてかばんの中が粉だらけになったこともある。液体洗剤にしたこともあるが、重くて嫌になる。 マグネシウム粒なら、全部解決だ。

願い通り生まれて来たかも

陽気暮らしの世界になると、出直す日時を決め、出直す先を決めて神様にお願いをすると、その通りになると、船場の初代の会長様の話にある。 あるおじいさんが出直すときの話で、おじいさんは出直すと決めた日に親戚を集めてお祝いの席を設ける。その席の中で親戚たちは「おじいさん、うちへ生まれ変わってきてください。」と口々に言うと、おじいさんは、どこそこへ生まれてやろうと言ってから息を引き取る。しばらくすると、その家に子供ができる。何年先に生まれてくるのかを神様に願っておけばその通りになるそうだ。 まだ今は陽気暮らしの世界ではないからその通りにはならない。しかし、少しはそんなことができるのかもしれない。例えば、前生の最期に、次はどこそこへ生まれて来たいと願ったのかもしれないし、次もこの人と一緒にいたいと思ったのかもしれない。 前生でどう思ったのかは神様にしか分らないことだが、神様はいつも優しいから願いを叶えてくれたのだろうと思うと、身近な人は大切にしなければならないつくづく思う。

ひのきしんは何から何まで

逸話篇の46「何から何まで 」という話がある。ひのきしんはこうやってさせてもらうものだろうと思う。ということを以前に書いたような気がするが、もう一度書いてみようと思う。 ある日、信者が大きな魚をお供えした。お供えがすんでから、秀司が増井りんに、「それを料理するように。」と、言い付けた。りんは、出刃をさがしたが、どうしても見付からない。すると、秀司は、「おりんさん、出刃かいな。台所に大きな菜刀があるやろ。あれで料理しておくれ。」と言った。出刃はなかったのである。  りんは、余りのことと思ったので、ある日お暇を願うて、河内へもどった。ちょうど、その日は、八尾のお逮夜であったので、早速、八尾へ出かけて、出刃庖丁と薄い刺身庖丁と鋏など、一揃い買うて来て、お屋敷へ帰り、お土産に差し上げた。秀司もまつゑも大層喜んで、秀司は、「こんな結構なもの、お祖母様に見せる。一しょにおいで。」と促した。教祖にお目にかかって、留守にしたお礼を、申し上げると、教祖は、それをお頂きになって、 「おりんさん、何から何まで、気を付けてくれたのやなあ。有難いなあ。」 と、仰せになって、お喜び下された。りんは、余りの勿体なさに、畳に額をすり付けて、むせび泣いた、という。 神様の御用と思って何かをするときには、そのために必要なものは自分で準備する。準備するためにわざわざ時間を確保する。これがひのきしんだろうと思う。 と書いてみるとわかりにくいと思うので、誤解を恐れずにその真逆を書いてみよう。 「会長さん、これこれこういうことをしたいから、あれとこれと教会で買ってくださいな。」 は違う気がする。もちろんケースバイケースだから一概には言えないが、できることなら必要なものは自分で準備したい。 「会長さん、これこれこういうことをしたいから、あれとこれと買っといてくださいな。お金は後で支払いますから。 も違うように思う。もちろんケースバイケースであるから一概には言えないわけだが、せっかくなら買いに行くのも自分でやって、その時間を神様に受け取ってもらうべきだろう。 「会長さん、これこれこういうことをしなきゃならないから、時間があるときにやっといてくださいな。」 これは最悪だろう。 と、理論的にはわかっているつもりでも、自分もついそうなってしま...

人間をはじめかけた証拠だから

おふでさきの第十七号九番のおうたに にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑておくぞや とある。現代日本語にすれば、「人間を始めけけたる証拠に甘露台を据えておくぞや」となる。人間を始めかけた証拠として甘露台を据えておくということだが、何が証拠になるのだろうかと、そんなことを昔から考えていた。 ふと思い出したのが師匠の言葉だ。「この道は証拠信心だ」とよく仰っていた。その意味は師匠がおっしゃるには、この道は本物の神様が教えてくださったのだから、その証拠を必ずお示しくださる。この教えは本当の教えだという証拠を神様から与えてくださったからこそ、先人はこの道を真剣に通ってこられたのだと。 証拠というのは、本当の神様である証拠であり、神様の仰っていることが本当であるという証拠であって、それは何らかの具体的な現象として現れるものであると、昔はそんな意味で使われていたのだろう。 おたすけにかかったとき、わざわざ御本部の神殿まで行き、甘露台の前で願うわけだが、それで御守護を頂いたという経験は誰もが持っていると思う。甘露台に向かって願えば御守護をいただける、ということは当たり前のようであるが、それが甘露台が人間を始めだした場所であることの証拠であるということなのだろう。

余れば返す、足らねば貰う

余れば返す、足らねば貰う、という言葉をどこかで聞いて、どこで聞いたのかを忘れていた。忘れたという話を友人に言ったことがあったそうだが、言ったことを私は忘れていて、少し前に、それを覚えていてくれた友人がどこに書いてあるのかを教えてくれた。明治二十年一月十三日のおさしづだ。 理は見えねど、皆帳面に付けてあるも同じ事、月々年々、余れば返す、足らねば貰う。平均勘定はちゃんと付く。 とある。「足らねば貰う」か恐ろしいな。余るくらい尽くしておくほうが安心だ。

月次祭のおつとめと諸々

月次祭のメインは、やはりおつとめである。おつとめを勤めるために月次祭があると言っても言い過ぎではない。しかし、おつとめだけではもったいないと思う。 ある教会では、会長さんが月次祭の準備をすべてする。「信者さん」と呼ばれる人たちは、時間になると教会へやってくる。そして、おつとめ着に着替えて、おつとめを勤める。直会が始まると、ご飯を食べ、食べ終わった人から帰っていくそうだ。準備や片付けは、会長さんがすべてやるとのこと。会長さんが徳を積む教会だ。 もちろんだが、おつとめは大事だ。おつとめだけでも参拝させてもらいたいと、ない時間を割いて毎月来るのは誠真実だろう。あるいは、どうしても仕事の都合をつけられないからと、仕事を終えてから参拝に来るのも誠真実だろう。 そう断った上で敢えて言うが、せっかく月次祭の日に教会へ行くのなら、参拝するだけではなくて、何か一つでもひのきしんをさせてもらったほうがよい。 月次祭のおつとめを勤めるためにしなければならないことはたくさんある。神床や参拝場の掃除から始まり、鳴物やその他の祭具の掃除、神饌の準備、片付けなど、祭典に直接関係することはもちろん必要だし、祭典のための事務的な手続きからお金の準備まで必要なことはたくさんある。それらの一つ一つは、おつとめを勤めるのと同じくらい大事だ。 あまりでしゃばりすぎてはダメだが、せっかくなので祭典に必要なことを一つでもさせていただいて、少しでも徳を積ませてもらうほうべきだろう。