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目的と手段を間違えぬように

人間は目的と方法を間違えやすい。方法が目的になってしまわないよう気をつけることが必要だ。 布教の家のときの話だ。カウンターを持たされて、1日に回った件数を数えなければならないのだが、同僚のKは件数が少ない。私1日に100件が最低件数で、多いときには400件くらい回るのだか、彼は50件くらいで精一杯だ。優秀で努力家のKはサボることはないだろうに、なぜ件数が伸びないのかと気にはなっていた。 ある時、一緒に回る機会があった。彼は一件一件が長い。いちいち粘って神様の話を取り次いでくる。おたすけ先も多い。だから件数が少ないわけだ。 目的はおたすけをすることであって、件数を増やすのは手段でしかないのだが、ここを間違いやすい。「おたすけさえしてりゃ、布教なんてしなくていいんだよ。」とある先生が口癖のように仰っているが、その通りだ。 が、人間は間違いやすいと、私は思う。 天理教というのは手段であって目的ではない。目的は陽気ぐらし世界の建設だ。 教会は信仰しやすくするための手段であって、教会の維持が目的ではない。 間違わないように、ときには立ち止まることも必要だ。

おふでさきの最初と最後

詰所では毎晩おふでさきを拝読していて、最後まで読み終えると最初に戻って読むことになっている。このタイミングで、なんとも言えない気持ちになる。 おふでさきの終わりのほうには、「ざねんりいふく」などの言葉が多く現れる。 第一号を読み始めると、陽気ぐらしをさせてやろうという親心を強く感じる。この部分だけ読めば、陽気ぐらし世界はすぐに完成するんだろうと思えてくる。 神様は陽気ぐらしをさせるために、すでに十分な計画を立てておられたのだろう。その上でおやさまを月日の社と定められた。そして、人間の自分勝手な心によって計画は頓挫したところでおふでさきは終わる。 いつも申し訳ない気持ちになる。

ひのきしんの態度

態度に表すというのは、わざわざしなくてもできることもあるが、意識したほうが良い場合もある。理論的に考えて、理の立つように行動すれば良いと私は思う。 ある作業があって、それがひのきしんの場合と仕事の場合とで力の入れ方は違う。悲しいことだが、ひのきしんだから手を抜くという人もいる。 例えば、屋外での作業があったとして、雨が降ったときに、仕事ならカッパを着てでもするという人がいるのなら、ひのきしんでならもちろんカッパを着てでもするべきだろう。 ひのきしんをすることで目に見えない徳をいただける。この徳で生きていくことができるのだから、お金をもらえるだけの仕事よりは尊い。 そう考えるのなら、仕事よりもひのきしんのほうを真剣にするのが自然だ。 まあ、考え方はそれぞれだから何とも言えないが、「ひのきしんなんだから、そんなに真面目にしなくてもいい」なんて言う人のことは聞かなくても良いと思う。

癖性分ねぇ…

ある先生からおてふりを教わった。 その先生は、「親指が離れないように」と注意を促していた。 親指の根本に力を入れると指先が離れるから、指先に力を入れるようにと、かなり具体的なアドバイスをしていた。 で、その先生は、終始、親指が離れていた。 癖性分というのは恐ろしいな。 気をつけねば…

何も考えずに尽くすのが良い

何も考えずに心を尽くしていれば良いのだと思う。心通りの御守護と教えられるわけだが、つまり、やったらやっただけ御守護をくださるということであって、その御守護はどこに現れるのか分からない。 誰かのために心を尽くしても、その相手のためにならなかったと思うようなこともあるし、喜んでもらおうも思ってやったことで怒らせてしまうこともある。しかし、それは心通りに御守護くださるのだから気にしなくて良い。もちろん、「誠の中のほこり」にならないよう気をつけることは必要だが、自分のためではなく、人のため、神様のためにやったことは、必ずどこかに現れてくる。 それが人間には分かりづらいのだろう。これだけやったのにダメだった、などと思う。こうなってほしいという人間思案を持って心を尽くしていると、御守護があったとしても、自分の思うものと違ったときに、不足が出る。まいた種は必ず芽を出すのだが、人間が望んだところに芽を出すのではない。神様から見て、その人に最も良いところに芽を出させてくださる。 ありがたいなぁ。

リーフレット作成

就任奉告祭のリーフレットを作成した。ウィンドウズという高価なパソコンは持っていないし、もちろんだがAdobeの高価なソフトも持っていないのでどうしようかと悩んだわけだが、結局、手持ちのChromebookと無料のオンラインサービスで乗り切ることにした。 メインのレイアウトソフトは「グーグル図形描画」に決めた。このソフトは、グーグルドライブからアクセスできる。AdobeのIllustratorほど素晴らしい機能はないが、所詮、素人の仕事しかしないので、写真と文字が配置できてPDFに変換できればよいのだから、これで十分だ。 写真の加工については、「写真加工ドットコム」というオンラインサービスを利用した。Photoshopとまではいかないが、周辺をぼかしたり写真をイラスト風に変換したりと、いろいろな処理ができる。少し時間はかかったが、まあ、素人が必要とする機能は無料で利用できる。 プリンターで印刷するときに、両面印刷ができれば便利なのだが、そのためには表面ファイルと裏面のファイルを一つのファイルに結合する必要があるわけだが、これもオンラインで解決した。「PDF オンライン 結合」でググればいくつかのオンラインサービスが見つかる。会員登録など不要で利用できるものがすぐに見つかるはず。 問題となったのは、フォントの少なさ。グーグル図形描画には、日本語のフォントがほとんどない。長い文章の部分は明朝体があれば良いと私は思っていたから問題はなかったが、このあたりを凝りたいという人には向いてない。また、タイトルのフォントは、私はゴシック、または明朝体をボールドにして使ったが、ここも凝りたい人もいるだろう。 タイトルのフォントなどは、オンラインでバナー作成をしてくれるサービスを利用すれば良い。面倒だが、画像にしてしまえば良いわけだ。

理を立てていれば良い

逸話篇の七四より 逸話篇の七四より 人間の義理を病んで神の道を潰すは、道であろうまい。人間の理を立ていでも、神の理を立てるは道であろう。 「人生とは選択の連続である」と言ったのは、確かシェイクスピアだったと思うが、彼らはいつも難しい選択ばかりで大変だ。 この道を歩む我々は、迷ったときには理の立つ方を選んでおけば良いのだから、ほとんど何も考えずに済む。 何ともありがたいことだ。 人間の義理を病んで神の道を潰すは、道であろうまい。人間の理を立ていでも、神の理を立てるは道であろう。 「人生とは選択の連続である」と言ったのは、確かシェイクスピアだったと思うが、彼らはいつも難しい選択ばかりで大変だ。 この道を歩む我々は、迷ったときには理の立つ方を選んでおけば良いのだから、ほとんど何も考えずに済む。 何ともありがたいことだ。