天理教でたすかりたいのなら
天理教にたすけを求めて駆け込むのなら、「たすけてください」と言うよりも、「神様の話を聞かせてください」と言うか、あるいは「神様のもとへ行かせてください」と言ったほうが良い。
「天理教は分かるもんじゃないよ。」と、関根豊松先生が仰っていたそうだ。ある師匠から教えていただいた。信仰すればするほど天理教は分からなくなると、そんなことも仰ってた。
天理教の教会にたすけを求めてくる人は、今でもたくさんいる。もちろんだが身の上話はきちんと聴くし、アドバイスできることはさせてもらう。手伝えることは手伝わせてもらう。しかし、根本的にはたすけるのは天理教の人間ではなくて神様である。ここを間違えてはならない。
私も少ないながら「おたすけ」と呼べるようなことはしているが、どの人も勝手にたすかっていくように思う。私は神様の話をさせていただいて、おつとめを一緒につとめさせていただいて、一緒に布教に出させていただく。そうこうしているうちに、勝手にたすかっていくのだから不思議だ。
人間がたすけるのではなくて神様がたすけてくださるのだから、まずは神様のもとへ行って神様の話を聞かせてもらうべきだろう。
さて、明日の祭典に備えて、ひのきしんをさせてもらいに行こうかと。