成ってくるのが天の理

成ってくるのが天の理

誰が言い出したのか分からないが、多くの人が知っている言葉だ。おさしづを検索しても出てこないし、おやさまが仰ったと記述された資料は、今のところ見たことはない。おそらく先人の先生が言い出して、それが広まったのだろう。

この言葉は、積極的な意味で使われ始めたのだと思うが、消極的な意味で使う人が多いように思う。何か都合の悪いことが起こったときに、自分としては納得できなかったとしても、そうなってくるのも親心(=天の理)であるのだから喜ばせてもらわなければならない、そういう使われ方が多いように思う。

「なる」という言葉は、漢字で書けば「成る」なのだが、この言葉はほとんどの場合「良くなる」の意味で使われる。「成るも因縁成らんも因縁」は、「良くなるのも因縁のなせることであり、良くならないのも因縁のなせることである。」という意味だ。

淡白に考えれば、成ってくるのが天の理は、「良くなってくるのは神様の親心からである」とか、「神様のご苦労のおかげで良くなってくる」とかいう意味になるが、もっと積極的に解釈するのなら、良くなるためには天の理を積め、とも考えられる。

解釈はそれぞれが勝手にすれば良いのだし、そもそも神様の言葉ではないのだからどうでも良いことだが、まあ、悪いことが起こったときに、その現実から逃れるための言葉ではないように思う。

良くなってこないのなら、もっと天の理をいただかなきゃ。

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