すべて気の長い話

人間はせっかちだから、すぐに御守護をいただきたくなるのだが、神様は気が長い。例えば教典には、
誰が来ても神は退かぬ。今は種々と心配するは無理でないけれど、二十年三十年経ったなれば、皆の者成程と思う日が来る程に。
とある。天理教の信仰とは二十年も三十年もかかる気の長い話だ。寿命が何千年もあるのなら二十年や三十年くらいと思うかもしれないが、人間の寿命を考えれば、短い時間ではない。

まあ、しかし、時間はかかるとはいっても、普通に信仰していれば危ない中もつれて通ってくださるんだから、細かいことは気にせず気長に続けていれば良いかと。

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