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インデックス投資と「理」にかなった資産形成

インデックス投資、特に全世界株式への投資が、我々にとって最も「理」にかなった方法ではないかと考えている。 ​昨今の急激なインフレを目の当たりにすれば、何らかの形で投資を選択せざるを得ない。将来のために預かっている資金の価値が目減りしていくのを、ただ指をくわえて待っているわけにはいかないからだ。 ​かつて、先人たちは「土地」を保有することで資産を形成してきた。それが結果として、インフレに対する確かな備えとなったのである。数十年前、まだ価値が低かった頃に取得した土地を売却し、それを元手に新たな土地建物を購入したという事例は、我々の周囲にも数多く存在する。 ​しかし現代において、同じ手法が通用するかと言えば、決してそうではない。不動産をめぐる環境は大きく変わり、「土地さえあれば安心」という時代は過ぎ去った。確実に価値を保てるのは一等地に限られるが、それを個人が取得し、維持し続けることは極めて困難である。 ​現代におけるインフレ対策の主流は、株式の保有であろう。 だが、株式投資は一歩間違えれば「ハイリスク・ハイリターン」な賭け事の側面を帯びる。これでは、神様が戒められている「暴利をむさぼる」という心に、知らず知らずのうちに陥ってしまう危うさがある。 ​「暴利」がどの程度の利益を指すのかという解釈は難しいが、世界経済全体の成長という「市場の平均リターン」を享受することは、決して暴利には該当しない、自然な果実の受け取り方であると考えるのが妥当だ。 ​「ここが上がる」と目星をつけて特定の銘柄に集中投資するのではなく、世界全体の平均を狙う。これこそが、自分自身の「欲の心」を抑え、最も穏やかな心でいられる方法ではないだろうか。 ​私個人は、MSCI ACWI(全世界株式)に連動するインデックスファンド、いわゆる「オルカン」を保有することに決めたが、全世界に広く分散投資できるものであれば、その種類は問わないと思う。 ​大切なのは、自分の浅知恵や欲で立ち回るのではなく、世界の成長という大きな流れ(理)を信じて、淡々と種を蒔き続けることだ。これが、今の時代における一つの「備え」の形であると確信している。 ​※これは現時点での見解であり、今後の状況の変化によって変わり得るということを付け加えておく。

すべてを慈しみ、すべてを願う —— 宗教家が「オルカン」に行き着いた理由

私は今、運用資産のすべてを「eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)」、いわゆるオルカンに委ねている。 かつては個別銘柄や特定のテーマ型投信を手にしていた時期もあったが、拭いきれない「違和感」が常に心の片隅にあった。その正体を見つめ直したとき、私は一つの確信に至った。 ​ 「宗教家こそ、オルカンであるべきではないか」 ​人間という生き物は、物事を完全に切り離して考えることはできない。投資と日常生活、あるいは信仰と経済活動を別物として割り切れるのなら、手法は何でもよいのかもしれない。しかし、現実はそうはいかない。 ​例えば、ある特定の企業の株を持つとする。 その瞬間に、私の心には「偏り」が生じる。もし出会った人がその企業の従業員であれば、私は純粋な「一対一の人間」としてではなく、「株主と労働者」という歪んだレンズを通して相手を見てしまうかもしれない。無意識にひいき目を向け、あるいは傲慢な期待を寄せてしまう。それは、人として対等に接するべき礼節を欠く行為ではないか。 ​もし、出会った人がライバル企業で懸命に働いていたらどうだろう。 その人の努力が実を結び、成果を上げることは、私の保有銘柄の価値を下げる要因になるかもしれない。その時、私は隣人の成功を心の底から祝福できるだろうか。他者の研鑽や繁栄を喜べないほど、宗教家として、いや、一人の人間として悲しいことはない。 ​業界単位で買えば済むという話でもない。特定の業種を選び取れば、選ばなかった他の業種が躍進したときに、何とも言えぬ「悔恨」が胸をかすめる。日本全体を買えばよいという考えもあるが、それでは隣国の繁栄を、自国の相対的な衰退として捉えてしまう危うさが残る。 ​ だからこそ、私は世界のすべてを抱きしめることにした。 ​オルカンという選択は、地球上のあらゆる営みを肯定することに他ならない。 世界のどこかで誰かが汗を流し、創意工夫を凝らして価値を生み出したとき、私はその成功を共に喜ぶことができる。どの国が豊かになっても、どの民族が反映しても、私の祈りと投資の果実は同じ方向を向いている。 ​誰が頑張ってもいい。誰が幸せになってもいい。 世界中の人々の幸福を願い、一切の差別のない慈悲の心を保つために、私の精神を妨げないのは、今のところオルカンしかないのだ。 ​これが、私が辿り着いた「...