おつとめのリズム感
リズム感のない人がいる。それが原因で月次祭のおつとめが苦痛だと言われたことがある。なんとかしてほしいと。
さて、どうすべきだろうか。
音楽のできる人が天理教には多い。だから、リズム感のない人とおつとめをするのは苦痛だということは分からなくはない。では、リズム感のない人が音楽を勉強すればよいのだろうか?そんなことをしていれば、音楽のできない人は信仰できないようなことなならないだろうか。それが行き過ぎると、教会長になるには音大をでなければならないとか、そんなことまで懸念される。世界だすけから遠のくとしか思えない。
教友に音楽を生業としている人がいる。リズム感のない人とともにおつとめをすることが苦痛ではないのかと。我慢してやっているとか、たんのうしているだとか、そういう答えが返ってくるものと思っていた。が、「おやさまの教えていただいたとおりに演奏できているのか自信がない。」との答えだった。考えているレベルが低すぎる自分を恥じた。