天理教は神道でも仏教でもない
天理教は神道なのかと問われると困る。「神」という言葉を用いるから神道の一種だと言われれば、そうであろうかとも思うし、祭具や儀式は神道のものを流用しているから、周りから見れば神道にしか見えないだろう。
教理はオリジナルであり、他の宗教とは違い、宗教を超えた存在だと言うこともできるが、そんなことは他の宗教も言っているわけで、だから神道ではないとは言えない。
とりあえず「神名」なるものはあって、「神」の存在を認めているし、十柱の神名には一般的な神道に登場する神様の名前も出てくるのだから、神道の一部であると考えられやすい。
しかし、神名を唱えるときに、いつも思う。神道なのか仏教なのか、よく分からんなぁと。
南無天理王命(なむてんりおうのみこと)
「南無(なむ)」は、「南無阿弥陀仏」など、仏教で使われる言葉だ。「命(みこと)」は神様に使う敬称のような言葉で、これは浸透で使われる。
言葉を仏教や神道から借りてきてるからややこしい。
天理教の内部にいると、教理がオリジナルだから神道の一部ではないと思うのだが、外から見れば神道にしか見えないのだろう。そういう意味では、神道だと行って良さそうだ。