逸話篇一八四 悟り方

逸話篇の一八四「悟り方」という話がある。最初読んだときに違和感を覚えたのだが、ある先生から教えていただいたことで解決したので、ここに書いておこうと思う。

明治十九年二月六日(陰暦正月三日)、お屋敷へ帰らせて頂いていた梅谷四郎兵衞のもとへ、家から、かねて身上中の二女みちゑがなくなったという報せが届いた。教祖にお目通りした時、話のついでに、その事を申し上げると、教祖は、
「それは結構やなあ。」 と、仰せられた。
梅谷は、教祖が、何かお聞き違いなされたのだろうと思ったので、更に、もう一度、「子供をなくしましたので。」と、申し上げると、教祖は、ただ一言、
「大きい方でのうて、よかったなあ。」と、仰せられた。

梅谷四郎兵衛先生が初めておぢば帰りをされた目的は、兄の病気を救けていただくためであったが、教えの理を聞くにつれて因縁を悟り、因縁を切っていただくために信仰をはじめられたと聞かせていただく。

先生に子供はいるが、男児は三男の梅次郎だけである。長男と次男は出直した。これを、家が途絶える因縁だと悟られたのだろう。先生は入信前、一度は養子に入られたことがある。どのような事情があったのか詳しくは分からないが、その家を出ることとなり、結果としてその家は途絶えてしまうことになる。これは因縁のなすこと、前生から家を倒してきた因縁があるため、男児が育たず、家が倒れることになると悟っておられたのであろう。

「大きい方」とは男児の梅次郎のことである。

子供が出直すというのは、誰にとっても悲しいことであって、もちろんおやさまもご存じであろう。そんな中でも何か喜びを見つけて通るということをお教えくださったのではないだろうか。

当時は「家」が重要視された時代であろうから良いのかもしれないが。


このブログの人気の投稿

見るも因縁、聞くも因縁、世話取りするはなおのこと

成ってくるのが天の理

Inkscapeで印刷すると画質が落ちる