働き損という心は

「末代」という言葉は、家の代という意味で捉えるべきではないだろう。当時は、個人よりも家を大事にする時代だから、そう誤解されて伝わったのも無理はない。しかし、この教えは家を守るための教えではない。個人の魂を救う教えである。

「代」とは、一つの人生を意味する。「末代」は、子や孫やその子孫に至るまで、という意味ではなく、何度生まれ変わっても、という意味で考えるべきであろう。今生で尽くしたことは今生だけのものではなく、来生にも続くものである。

働き損やという心は、更々持たぬよう。思わぬよう。尽した理は、生涯末代。

とある。ありがたいことだ。

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