天理教の教会の統合について
教会の統合、つまりいくつかの教会を一つにまとめる、それによってみんなが勇めるような教会を作ろうという動きが本格化しだした。
今までは、なんとか復興しようという動きであったように思う。設立には多くの人が苦労をされただろうし、現在に至るまでたくさんの人が教会を守ってきたのだから、簡単になくすべきではないだろう、と思うのは、教会に関わる人なら誰でも思うはずだ。
教会を維持することと信仰することは同じではない。教会は、信仰しやすくするためにあるわけであって、教会を維持することが信仰することではない。必死になってものごとに当たっていると、本来の目的を忘れてしまいやすい。
ある教会の息子は、若いときに単独布教を志したが、断念した。教会を維持するために働かなければならないからだ。教会を維持するために信仰を断念するということにもなりかねない。
教会があるおかげで信仰が深まったとか、教会に助けられたとか、そういう人がたくさんいるのならその教会は神様が守ってくださるだろう。しかし、信仰の邪魔になるような教会は、いくら人間が守ろうとしても、守りきれるものではない。
我々の目的は教会を維持することではないのだから、統合することでより多くの人に教えを広められるだとか、より多くの人がたすかるだとか、そういうことであるのなら積極的に統合すべきだろうと思う。