心の埃
心の埃を一言で言えば、親神様の思召に沿わない心遣いである。埃は目に見えないもので、知らず知らずのうちに積もってくるものである。心の埃も同じことで、目に見えず、知らず知らずのうちに使ってしまっている心遣いであるから、日々、反省をさせてもらわなければならない。これを胸の掃除と仰る。
埃というものは親神様の思召に沿わない心遣いということだから、一つではなくたくさんある。それを掃除するのに、おやさまは八つを挙げられた。心の埃の中で、多くの人が積みやすいものを八つ挙げてお教えくだされたのである。したがって、埃というものは八つだけではなく、親神様の思召に沿わないものはすべて埃の心遣いであるが、まず分かりやすいものとして八つを教えてくださった。
をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん、この八つである。この八つは、この順に掃除をしやすいと言われることもある。つまり、「をしい」の埃は掃除しやすく、「こうまん」はもっとも掃除がしにくいと。おやさまがそう仰ったのではないが、このように言われることが多い。
八つの埃以外にも、うそ、ついしょ、この二つは埃であると仰せられる。おふでさきには、
埃の心遣いをしたとしても、その場で何か見せられるわけではない。かなり積もってきてから神様はお知らせ下さる。その場で見せられたほうが分かりやすいと、そう思う人もいるようだが、これほど窮屈なことはないだろう。人間の親であるから、かわいい子供の悪い心遣いも、ある程度は見逃してくださり、自ら改めるのを待ってくださるのである。もうこれ以上、埃を積むと危ないという時になって、神様は分かるように教えて下さるのだが、そのときには、苦しい思いをしなければならないだろう。
心の埃は掃除をしなければならない。朝夕のおつとめのときに反省させていただくことが大事である。こうやって埃の心遣いを使わないように努力するとともに、神様に掃除してもらうことで、心遣いを改めていくのである。
埃の心遣いは、おそらく人間であるかぎりは誰もが使ってしまうものであろう。しかし、使いやすいものは人によって異なる。人間にはそれぞれ性分というものがあり、例えば気の短い人なら「はらだち」の埃を積みやすい。まずは自分が積みやすい埃を把握して、そこから掃除をしていくと良い。
埃というものは親神様の思召に沿わない心遣いということだから、一つではなくたくさんある。それを掃除するのに、おやさまは八つを挙げられた。心の埃の中で、多くの人が積みやすいものを八つ挙げてお教えくだされたのである。したがって、埃というものは八つだけではなく、親神様の思召に沿わないものはすべて埃の心遣いであるが、まず分かりやすいものとして八つを教えてくださった。
をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん、この八つである。この八つは、この順に掃除をしやすいと言われることもある。つまり、「をしい」の埃は掃除しやすく、「こうまん」はもっとも掃除がしにくいと。おやさまがそう仰ったのではないが、このように言われることが多い。
八つの埃以外にも、うそ、ついしょ、この二つは埃であると仰せられる。おふでさきには、
月日にハうそとついしよこれきらいとある。八つ以外の埃についても述べられているのである。
このさきなるわ月日しりぞく 十二号 113
埃の心遣いをしたとしても、その場で何か見せられるわけではない。かなり積もってきてから神様はお知らせ下さる。その場で見せられたほうが分かりやすいと、そう思う人もいるようだが、これほど窮屈なことはないだろう。人間の親であるから、かわいい子供の悪い心遣いも、ある程度は見逃してくださり、自ら改めるのを待ってくださるのである。もうこれ以上、埃を積むと危ないという時になって、神様は分かるように教えて下さるのだが、そのときには、苦しい思いをしなければならないだろう。
心の埃は掃除をしなければならない。朝夕のおつとめのときに反省させていただくことが大事である。こうやって埃の心遣いを使わないように努力するとともに、神様に掃除してもらうことで、心遣いを改めていくのである。
埃の心遣いは、おそらく人間であるかぎりは誰もが使ってしまうものであろう。しかし、使いやすいものは人によって異なる。人間にはそれぞれ性分というものがあり、例えば気の短い人なら「はらだち」の埃を積みやすい。まずは自分が積みやすい埃を把握して、そこから掃除をしていくと良い。