俄に咲く花は

布教がうまくいっているかどうかは、あまり気にする必要はない。そもそも、そんなすぐに芽が出るはずがない。先人の布教師がどれだけ長い間苦労をされたのかを考えるべきだろう。明治二十四年十一月一日のおさしづに、
多く事情に世上の理、めん/\一人幾重の事情に、長くは先の楽しみ、短いは楽しみ無し。これ俄かに咲く花は、切って来て床へ挿してあるも同じ事。これはのじの無いものである。さあ/\これ根のある花は遅なる。なれども年々咲く。又枝に枝が栄える。根も踏ん張る。こゝの道理をよう思やんしてみよ。
こうある。こんなおさしづを読ませていただくと、むしろ何も成果がないほうが良いのではないかとも思う。もちろん、心が勇んでいるという前提だが。

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