天理教は転換期に来ているとか来ていないとか
天理教は転換期に来ていると、そんなふうに言う人がいる。転換期とは何だろうか。ある時点で転換をしたのかどうかというのは後になって分かることであって、その時点ではわからない。ノイズがあるからだ。
単純なモデルを考えてみると、例えば信者数が分かりやすいだろう。信者数が増加している状態から現象している状態へと移った時には、転換期であったと言えるだろう。しかし、増加している状態の時に、そろそろ転換期だと判断することはできない。人間は未来を見ることはできないのだから。実際に減少に転じてから、転換期があったのだと分かる。
しかし、これも大きな流れで見なければわからないわけで、何らかの要因で一時的に増加することもあるだろう。短期的な増加と長期的な増加を一緒にしてはいけない。今日、偶然にも大幅な増加があったとしても、10年単位で見た場合に減少していることもある。短期的な変動によるノイズは常に発生するだろうから、局所的な部分を見て判断するべきではない。
では長期的、短期的とはどのような期間なのかというと、これも実は後になってみなければわからない。現時点では、立教から現在までが最も長い期間だが、何千年もの未来から見ればごく短期的なものでしかない。
何万年後かの人から見れば、今の我々はおやさまがご存命の時と大して変わらないと、私の師匠はよく言う。今の我々から見れば転換期に見えたとしても、何万年も経ってから今を見れば、立教から今までの変化は微々たるものであって、ノイズにすぎないのではないかと。
まだまだ小さい集まりでしかないのだし、まだ百何十年かしか経っていないのだから、あまり細かい変動に気を取られるべきではないだろう。大きなトレンドを見れば、確実に教えは広まっているのだから。
単純なモデルを考えてみると、例えば信者数が分かりやすいだろう。信者数が増加している状態から現象している状態へと移った時には、転換期であったと言えるだろう。しかし、増加している状態の時に、そろそろ転換期だと判断することはできない。人間は未来を見ることはできないのだから。実際に減少に転じてから、転換期があったのだと分かる。
しかし、これも大きな流れで見なければわからないわけで、何らかの要因で一時的に増加することもあるだろう。短期的な増加と長期的な増加を一緒にしてはいけない。今日、偶然にも大幅な増加があったとしても、10年単位で見た場合に減少していることもある。短期的な変動によるノイズは常に発生するだろうから、局所的な部分を見て判断するべきではない。
では長期的、短期的とはどのような期間なのかというと、これも実は後になってみなければわからない。現時点では、立教から現在までが最も長い期間だが、何千年もの未来から見ればごく短期的なものでしかない。
何万年後かの人から見れば、今の我々はおやさまがご存命の時と大して変わらないと、私の師匠はよく言う。今の我々から見れば転換期に見えたとしても、何万年も経ってから今を見れば、立教から今までの変化は微々たるものであって、ノイズにすぎないのではないかと。
まだまだ小さい集まりでしかないのだし、まだ百何十年かしか経っていないのだから、あまり細かい変動に気を取られるべきではないだろう。大きなトレンドを見れば、確実に教えは広まっているのだから。