頑張ろうかと
息子が生後何ヶ月かのとき、寝返りを打つことができそうな時期があった。もう少しで寝返りを打てそうなとき、夫婦で目を輝かせながら見守ったものだ。やっと寝返りを打てたときには、二人で大喜びしたのを思い出す。
寝返りを打てた瞬間はもちろん大喜びしたが、それだけではない。できるようになろうと一所懸命努力しているように見えただけで喜べるものである。
これが親の心なのだろうかと。
神さんの信心はな、神さんを、産んでくれ親と同んなじように思いなはれや。そしたらほんまの信心が出来ますねで。
逸話篇の一〇四「信心はな」で、おやさまがこう仰っている。
神様は「何かができる」ことを喜んでくださるのではなくて、「何かができるようになった」、あるいは「できるようになろうと頑張っている」ことを喜んでくださるではないかと。