教会の神様
大教会には御霊様のお社が二つある。二つあるから参拝するときには別々に拝む。これは当たり前のことなのだが、祭典日などで祭主が上段から拝むときには別々に拝まずに、一回にまとめて拝む。その理由が長らくわからなかった。
御本部の祖霊殿にはお社が三つあるから、祖霊殿で拝むときには三回拝むのが当たり前だ。が、神殿から祖霊殿を拝むときには一度しか拝まない。それと同じで、上段から拝むときには一度しか拝まないのではないかと教えてくれた役員さんがいた。それもなんとなく理解できなくはない。
他のいろんな人がいろんな理由付けをしているようだが、あまり大した理由はないようだ。真柱様がそれしたからそれを真似ているというのが現実らしい。大教会の記念祭に真柱様が来られたとき、上段から御霊様を一度しか拝まなかったということがあってから、大教会ではそうするようになったそうだ。
例えば、教務支庁に来られたとき、親神様、おやさま、御霊様と拝まれた。正面に向かって拝んだあと、少し右に向かって拝み、そして少し左を向いて拝まれた。その教務支庁には親神様のお社しかないにもかかわらずだ。
おやさまのお社がないということは御目標様もないわけだ。何も祀られていない場所に向かって拝まれたのだから驚きだ。
考えてみれば、「御目標様」と言うくらいだから、拝む目印みたいなものでしかないとも考えられる。逸話篇の一六四「可愛い一杯」に、
神と言うて、どこに神が居ると思うやろ。この身の内離れて神はなし
とあるのだから、お社の中に神様がいるわけではないのだから、お社に向かって拝む必要もないのだろう。しかしそういうものがなければ拝みにくいだろうからと、神様が許してくださっているように思う。
だからといって御目標様や神実様を粗末に扱って良いというわけではない。しかし、御目標様や神実様を大事にするあまり、もっと大事にしなければならないことを粗末に扱ってしまわないように、常に気をつけるべきだろうかと。