天理教の教えは簡単だが
天理教の教えは難しいものではない。基本的な教理といえば、元の理、十全の御守護、八つの埃くらいなものであり、その実践的な行いはすべておやさまのひながたとしてお通りくだされてある。覚えるべきことは極めて少ない。毎日拝読していれば頭に入ってくるだろう。無理に覚える程でもない。
天理教の教えは難しくはないのだが、それを実践するのが難しい。明治二十年十一月八日のおさしづには、
さあ/\身の内の処よう聞き分けねばならん。さあ/\神の方には不足の身体は貸してない。不足というは、めん/\の心より。成程結構という事は分かるである。一寸道歩く。あゝ綺麗な花やなあと言うて通ったまで。さあ誠一つ願う時の心定めねばならん。内々めん/\身に知らす。とある。なるほど、結構だということまでは誰でも分かるほど、天理教の教えはありがたいが、そう思っているだけでは「あゝ綺麗な花やなあと言うて通ったまで」と神様は仰る。綺麗な花を眺めているだけのことであって、綺麗な花を咲かせたわけではない。
自らが綺麗な花を咲かせるには、なるほど、結構と思うだけではなく、それを日々に実践していかなければならない。おさしづにもおふでさきにも、このような意味のことがよく書かれている。著名な布教師の先生方は、本気で実践されたのだろうかと。