皮膚が乾燥は水の心遣いができていないから

少し前のこと、右手の指にあかぎれができた。大気が乾燥しているのが原因だというのは世上の人が考えることであって、お道を通る我々は、こんなことでも心を改めて埃を払おうとするべきだろう。では、どういった心遣いが肌の乾燥につながっているのだろうか。

乾燥するというのは、言うまでもなく水の御守護が足りないからであって、つまり、くにとこたちのみこと様の御守護を頂けていないことを意味する。肌が乾燥することで生命が脅かされるというほどではない。水の御守護はほとんどいただけているのだが、隅々までは行き届いていないと考えられる。

ということは、水の心遣いはほとんど出来ているのだが、もう少し足りないということだろう。水の心遣いというと、よく言われるものがいくつかある。

その一つは低い心だ。水は低いところへ流れる。水の御守護がいただけていないときには、心が高くなっている可能性がある。もう一つは周りに合わせることだ。水は方円の器に従うと古くから言われる通りで、水には形がないのだから、自分の考えを主張するのではなく、周りに合わせていくことが必要だ。

低い心になっているつもりでいても、ついつい高くなりがちだから気をつけなければならない。周りに合わせているつもりでも、やはりつい自分が正しいと思っていることをやってしまいがちだ。

例えば、教会生活の上で、会長さんのいうことを素直に聞いているだろうか。会長さんはこう言うけれども、私はこちらが正しいと思うからこうすると、そんな行いをしていないだろうか。朝夕のおつとめにしても会長さん、あるいは芯になる人に合わせているだろうか。こういったことを確認していかなければならない。

皮膚科を探すことを否定するわけでもないし、保湿クリームを買いに行くのを否定するわけでもないが、それらはあくまで修理肥でしかないのだから一時的な対処にしか過ぎない。「病の元は心から」である。

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