誠の心一つ
明治二十年七月のおさしづ「大阪近藤政慶若狭行きの伺」
さあ/\尋ねる事情を、どうせともこうせとも、行けとも行くなとも、どうしてやろうこうしてやろうとも、この処、前から言うた事はないで。何事も皆銘々の心次第と言うてある事やで。何処に居ても月日の身の内や。何処に居るのも同じ事、誠の心一つや。誠が天の理や。天の理にさえ叶えば、何処に居ても道が付くで。実誠無けねば、何処い行たとて、何をしたとて道は狭ばむばかりやで。しいかり聞き分ねば分からん。しいかり聞き分けて諭すがよい。誠が天の理であって、天の理にかなってさえいれば、どこにいても道がつく。実誠がなければ、どこに行っても、何をしても道は狭くなる。ありがたく、厳しいお言葉である。布教にはコツや技術が必要だと思ってしまうのが人間心だが、最も大事なのは「誠の心」である。毎日の布教活動の中では忘れがちだが、決して忘れてはならない。