神の域に達するには、まず妖怪になれ

蛙の子はお玉やで、これはわかっているやろ。お玉は自分は蛙の子やとなかなか納得できないやろ。蛙とお玉はぜんぜん違うからなあ。お玉は、いつまでも鮒や泥鰌と一緒にいたいと思うやろ。それと同じようなことが人間にも言えるのや。人間はなあ、人間として生きる道は考えて通るやろうが、神の子としての道が本当に通れるやろうか。
口伝として残っている。人間は、人間思案だけで生きていれば、ただの人間として一生を終える。伝説の布教師と呼ばれる先生方は、人間として生きることを諦めたと、うちの師匠は教えてくれた。

神様のようにおたすけをされる先生方は、最初からそうだったのではない。そこに達する前に気持ち悪い状態があったと。師匠はそれを「妖怪」と呼ぶ。断っておくが、天理教の教えの中に「妖怪」というものはない。オタマジャクシからカエルになるときには、オタマジャクシでありながら足が生えてきて、オタマジャクシでもないカエルでもない、気持ち悪い格好になる。

ようぼくも素晴らしいおたすけ人になるにはこの気持ち悪い妖怪のような状態を経なければならないそうだ。もはや神の域に達しただろうと思うような素晴らしいおたすけ人の先生方には、必ず妖怪のような気持ち悪い時期があるとのこと。

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