うまくやることの代償
うまくやることは、いつも静かに始まる。
誰にも気づかれないほどの工夫。帳簿の隅に置かれた数字。
「この一回だけ」「今だけ」——そんな言葉が、風のように通り過ぎる。
ニデックの不正会計が報じられたとき、驚きよりも、どこか既視感のようなものがあった。
制度の堅牢さを誇る企業で、なぜそんなことが起こるのか。
だが、問いはいつも遅れてやってくる。
最初の工夫は、誰かを救うためだったかもしれない。
報告を整え、数字を揃え、誰も困らないように。
それは、善意だったのかもしれない。
うまくいってしまった。
誰も咎めず、誰も問わず、風は静かだった。
その静けさが、繰り返しを許した。
繰り返しが慣れとなり、慣れは仕組みとなった。
そして、仕組みは制度に溶け込んだ。
監査法人は意見を表明できず、株価は急落し、信用は揺らいだ。
だが、代償は数字では測れない。
それは、制度の中に息づいていた“うまさ”が、制度そのものを変えてしまったという事実。
誰もが「うまくやった」と思っていたその先に、戻れない道があった。
経済学は言う。「フリーランチはない」と。
何かを得るには、何かを失う。
その原則は、帳簿の中にも、会議室にも、私たちの判断の中にも、静かに息づいている。
工夫は必要だ。創意は組織を支える力だ。
だが、倫理との境界を見失ってはならない。
「うまくやること」が、制度を歪める前に。
問い直すべきなのは、数字ではなく、私たちの静かな判断かもしれない。