因縁
因縁というと、悪いものを思い浮かべてしまいがちだが、そうではない。そもそも因縁という言葉は仏教で用いられていた言葉で、天理教はその言葉を流用しているのであって、意味は異なる。 人間の身体は親神様のものであり、人間は身体をお借りしている。この世に生まれてくるという現象は、魂が親神様から新しい身体を借りることであり、死ぬという現象は神様に身体をお返しすることを意味する。死んだ後は、また新しい身体を借りてこの世に生まれてくる。魂は生き通しで、生まれ変わりを繰り返しているから、天理教では「死ぬ」と言わず、その代わりに「出直す」と言う。古い着物を脱ぎ捨てて新しい着物に着替えるようなものだとも教えていただく。 どれだけ多くの財産を築いたとしても、それを次の人生に持っていくことはできない。また、技術や知識なども持っていくことは出来ない。魂は財産も技術も知識も持つことはできないのである。しかし、何も持っていくことが出来ないのかというと、そうではない。人生の中で良いことも悪いこともするわけだが、それは魂に刻まれているのである。これが因縁である。 他の人と同じように暮らしていても、何をやってもうまくいく人はどこにでもいるものだが、おそらくこの人の魂は、ずっと人様のために良いことをしてきたのだろう。 このように言うと、人生は不公平なものに思えるかもしれないが、そうではない。親神様が人間をお創りになった時には、人間の魂には良い因縁も悪い因縁もなかった。それが、生まれ変わって長い年月が経つ間に、良い心遣いも悪い心遣いもし、それが魂に因縁として刻まれたのである。 このように考えていくと、「私の因縁はさぞかし悪いのだから、もう何をしてもダメだ」と思う人もいるだろう。確かにそう考えられなくもないのだが、そもそも因縁というものは、それほど恐ろしいものではない。もしも因縁通りにしか生きることが出来ないのなら、ずっと悪いことばかりしてきた魂を持つ人は苦しみ続けなければならないだろう。しかし、神様は悪い因縁を切る方法も教えてくださっているのである。それが、「たんのう」と「おたすけ」である。 因縁を切る方法を知らない人にとって、因縁は非常に恐ろしいものだろう。しかし、天理教の教えを知っていれば因縁を切る方法を知れるのだから、これほどありがたいことはない。もともと、人間は陽気ぐらしをす...