春の大祭に思うこと
春季大祭の日に何かさせてもらえたらとは思うが、なかなか思うようにはさせてもらえない。なぜ勤めるのかと考えてみれば、させてもらえることが見つかるかもしれないと思うが、その理由はいくつもある。多くの人が言うように、おやさまが現身をお隠しになられたその日のことを思い出せば何かすべきことが見つかるのかもしれないと思い、教祖伝の第十章「扉開いて」を読み返してみた。少し長いが引用すると、
このお言葉を頂いて、一同心を定めて居ると、その日の正午頃から、教祖のお身上がいよ/\迫って来たので、一同全く心定まり、真之亮から、おつとめの時、若し警察よりいかなる干渉あっても、命捨てゝもという心の者のみ、おつとめせよ。と、言い渡した。一同意を決し、下着を重ね足袋を重ねて、拘引を覚悟の上、午後一時頃から鳴物も入れて堂堂とつとめに取り掛った。その人々は、地方、泉田藤吉、平野楢蔵。神楽、真之亮、前川菊太郎、飯降政甚、山本利三郎、高井直吉、桝井伊三郎、辻忠作、鴻田忠三郎、上田いそ、岡田与之助。手振り、清水与之助、山本利三郎、高井直吉、桝井伊三郎、辻忠作、岡田与之助。鳴物、中山たまへ(琴)、飯降よしゑ(三味線)、橋本清(つゞみ)であった。
当時まだ幼少であったたまへも、孃、今日はお前もおつとめに出よ。との、真之亮の言葉によって、つとめに出た。家事取締りに当ったのは、梅谷四郎兵衞、増野正兵衞、梶本松治郎。以上総計十九名。
数えてみると、19名という人数は家事取締りを含めた数だ。少し違和感を覚えないでもないが、おつとめに出た人だけを数えたのではないことは確かだ。
ここから色々なことを考えることができそうだ。