逸話篇二十六 麻と絹と木綿の話
麻はなあ、夏に着たら風通しがようて、肌につかんし、これ程涼しゅうてええものはないやろ。が、冬は寒うて着られん。夏だけのものや。三年も着ると色が来る。色が来てしもたら、値打ちはそれまでや。濃い色に染め直しても、色むらが出る。そうなったら、反故と一しょや。絹は、羽織にしても着物にしても、上品でええなあ。買う時は高いけど、誰でも皆、ほしいもんや。でも、絹のような人になったら、あかんで。新しい間はええけど、一寸古うなったら、どうにもならん。そこへいくと、木綿は、どんな人でも使うている、ありきたりのものやが、これ程重宝で、使い道の広いものはない。冬は暖かいし、夏は、汗をかいても、よう吸い取る。よごれたら、何遍でも洗濯が出来る。色があせたり、古うなって着られんようになったら、おしめにでも、雑巾にでも、わらじにでもなる。形がのうなるところまで使えるのが、木綿や。木綿のような心の人を、神様は、お望みになっているのやで。
神様がお望みになる心を表した逸話だ。神様の目から見て使い道が広く、いつまでも使うことができるというのがようぼくのあるべき姿である。
自分にしかできないことを活かして御用を勤めさせていただきたい、というのは違うのだろう。「私は○○の資格を持っていますので、きっと教会の力になれます。」というのは、入信したての人なら良いかもしれないが、神様のお望みになる心ではない。
誰でもできるが誰もやりたがらないことこそひのきしんだ!とある先生が仰っていたのを思い出した。なるほど。