投稿

3月, 2017の投稿を表示しています

いくら信心しても苦労ばかり

 明治八年夏の頃、永年、教祖と艱難苦労を共にしたこかんが身上障りとなり、容体は次第に重くなった。   : 魂のいんねんにより、親神は、こかんを、いつ/\迄も元のやしきに置いて、神一条の任に就かせようと思召されて居た。しかし、人間の目から見れば、一人の女性である。人々が、縁付くようにと勧めたのも、無理はなかった。こかんは、この理と情との間に悩んだ。  第十一号前半から中頃に亙り、この身上の障りを台として、人間思案に流れる事なく、どこ/\迄も親神の言葉に添い切り、親神に凭れ切って通り抜けよ、と懇々と諭されて居る。   : 身上に徴をつけ、筆に誌して、元の親里につとめ人衆として引き寄せた、元のいんねんある人々を仕込み、たすけ一条の根本の道たるかんろだいのつとめの完成を急がれた。   :  九月二十七日(陰暦八月二十八日)、こかんが三十九歳で出直した。この報せに、御苦労中の教祖は、特別に許可を受けて、人力車で帰られると、直ぐ、冷くなったこかんの遺骸を撫でて、 「可愛相に。早く帰っておいで。」 と、優しく犒われた。 天理教の歴史の中で、神様から高い期待をかけられた最初の人間がこかん様ではないだろうか。おふでさきには、 このものに月日よろづのしこみする それでめづらしたすけするのや とある。「このもの」とはこかん様のことだ。「よろづのしこみ」をすると仰るくらい期待のかけられていたこかん様に対して、神様は少しの人間思案もお許しにならなかった。 信仰が進めば精神的にも物質的にも楽になっていくというのが、普通の宗教に対する考え方だろう。しかし、天理教は成人すればするほど苦労しなければならない。神様から期待されている人間は、心が少しブレただけで厳しいお手入れを頂く。成人すればするほど、人間的な生き方はできなくなる。こんなふうに師匠が仰っていたのを思い出した。 いくら信心しても苦労ばかりしている人は、おそらく神様からの期待が大きいのだろう。高々十年ほど信仰しただけで、これだけ楽な生活を送っていることを、少し恥ずかしく思う。

その心を供えるのや

逸話篇の「真心の御供」を引用させてもらう。 中山家が、谷底を通っておられた頃のこと。ある年の暮に、一人の 信者が立派な重箱に綺麗な小餅を入れて、「これを教祖にお上げして下 さい。」と言って持って来たので、こかんは、早速それを教祖のお目 にかけた。 すると、教祖は、いつになく、 「ああ、そうかえ。」 と、仰せられただけで、一向御満足の様子はなかった。 それから二、三日して、又、一人の信者がやって来た。そして、粗 末な風呂敷包みを出して、「これを、教祖にお上げして頂きとうござ います。」と言って渡した。中には、竹の皮にほんの少しばかりの餡 餅が入っていた。 例によって、こかんが教祖のお目にかけると、教祖は、 「直ぐに、親神様にお供えしておくれ。」 と、非常に御満足の体であらせられた。 これは、後になって分かったのであるが、先の人は相当な家の人で、 正月の餅を搗いて余ったので、とにかくお屋敷にお上げしようと言う て持参したのであった。後の人は、貧しい家の人であったが、やっと のことで正月の餅を搗くことが出来たので、「これも、親神様のお蔭だ。 何は措いてもお初を。」というので、その搗き立てのところを取って、 持って来たのであった。 教祖には、二人の人の心が、それぞれちゃんとお分かりになってい たのである。 こういう例は沢山あって、その後、多くの信者の人々が時々の珍し いものを、教祖に召し上がって頂きたい、と言うて持って詣るように なったが、教祖は、その品物よりも、その人の真心をお喜び下さるの が常であった。 そして、中に高慢心で持って来たようなものがあると、側の者にす すめられて、たといそれをお召し上がりになっても、 「要らんのに無理に食べた時のように、一寸も味がない。」 と、仰せられた。 「正月の餅を搗いて余ったので」という気持ちでは、神様は受け取ってくださらない。が、人間はこんな心を使ってしまいがちだ。 例えば、自分の家で使わなくなったものであっても、教会に持っていけば喜んで使ってくれることがある。が、これは余ったから持っていっているのと同じで、神様は受け取ってくださらない。わざわざ徳を落としているようなものだ。 時間も同じ。おやさまの口伝に「ああもしたい、こうもしたいと思う心もあるやろ、その心を供えるのや。」とある。自分のやりた...

種があればこそ

おさしづを読んでいると、泣きそうになることがある。明治24年1月28日のおさしづに、 一年で蒔いた種が、一年で生える。二年で蒔いた種が、二年で生えるのもある。又蒔いた種が生えんのもある。なれど一旦蒔いたる種は、どうでもこうでも生やさにゃならん。生えんという理は無い。どんな事も談示したとて、聞く者は無い。残念。相談する人も無し、掛かり掛けた道どうなろうと、残念々々の道も越して来た。涙をこぼして越した日もある。種を蒔いたから今日の日や。広い地所があっても種を蒔かねば草山や。草山は草山の値打ち。種があればこそ、修理がある。修理がしたならこそ今日の日や。これをよう聞き分けてくれ。 涙を流しながらでも種をまかなければ。    

AndroidとChromebookの組み合わせが最強

コンピュータは、生活になくてはならないものになってしまった。記憶力の悪い私は、スケジュールや連絡先、仕事に使うデータを、いつもコンピュータに記憶してもらっている。Windows98のころから、PalmOSを搭載した電子手帳とパソコンを同期させて、頭の悪い私の生活を、いつも助けてもらってた。 今も助けてもらっている。何が一番使いやすいのかといろいろ試しているうちに、パソコンが増えてきた。現在、私の目の前にあるのは、Windows10とChromebookのノートパソコンとDebianのデスクトップ、そしてAndroidのスマホだ。いろいろ試した結果、ChromebookとAndroidを普段の生活に使って、プログラミングなどの特殊な作業をするときにはWindows10を使っている。とにかく、Googleのサービスが便利だ。 スマホとしてAndroidを選んだのは、単に安いからだ。もともとMacユーザーだった私はiPhoneを使いたかったのだが、以前は価格が高すぎた。Windowsのスマホは、登場が少し遅かった。Androidを使う前はWindowsCEを日常的に使っていたから、もしも必要なタイミングでWindowsのスマホが登場していれば、そちらを買っていただろう。 Chromebookを買った理由も安かったからだ。プログラミングやデザインの仕事をしていた時はWindowsがメインだったのだが、ライターの仕事をするようになってからWindowsである必要はなくなった。日本語変換に不安があったのでChromebookが登場した当初は敬遠していたのだが、メインとして使っているWindowsが壊れたときに、とにかく安くてすぐに手に入るノートパソコンがないものかと探していたら、2万円ちょっとのChromebookを見つけて、これくらい安ければ試してみる価値はあるだろうと思って買うことにした。 ChromebookとAndroidの組み合わせは最強だと今のところは思っている。パソコンの設定をいじって高速化したり、自分好みにしたりするのは楽しい。しかし、それには時間もお金もかかるし、それで稼げるわけではない。コンピュータの専門家として生きていくのならそれくらいのことはしなければならないだろうが、私のような一般人にとって、コンピュータは道具でしかない。それなら使いや...

用いねば反対同様

内務省秘密訓令が発布されたときのおさしづを、ふと思い出した。確か、おぢばで習ったことがある。 反対する者も可愛我が子、念ずる者は尚の事。なれど、念ずる者でも、用いねば反対同様のもの。 「念ずる」がどういう意味なのか、あるいは「用いる」が具体的に何をすべきなのかというところに議論の余地はあるわけだが、ざっくり言えば、「頭で考えているだけ、あるいは口で言っているだけで何もしなければ、反対しているのと同じだ」という意味だ。 天理教の教えを勉強するのは楽しいし、まだまだ新しい発見もあって、つい時間を忘れて没頭してしまうのだが、そんなことをしていても「反対同様のもの」でしかないのだろう。