いくら信心しても苦労ばかり
明治八年夏の頃、永年、教祖と艱難苦労を共にしたこかんが身上障りとなり、容体は次第に重くなった。 : 魂のいんねんにより、親神は、こかんを、いつ/\迄も元のやしきに置いて、神一条の任に就かせようと思召されて居た。しかし、人間の目から見れば、一人の女性である。人々が、縁付くようにと勧めたのも、無理はなかった。こかんは、この理と情との間に悩んだ。 第十一号前半から中頃に亙り、この身上の障りを台として、人間思案に流れる事なく、どこ/\迄も親神の言葉に添い切り、親神に凭れ切って通り抜けよ、と懇々と諭されて居る。 : 身上に徴をつけ、筆に誌して、元の親里につとめ人衆として引き寄せた、元のいんねんある人々を仕込み、たすけ一条の根本の道たるかんろだいのつとめの完成を急がれた。 : 九月二十七日(陰暦八月二十八日)、こかんが三十九歳で出直した。この報せに、御苦労中の教祖は、特別に許可を受けて、人力車で帰られると、直ぐ、冷くなったこかんの遺骸を撫でて、 「可愛相に。早く帰っておいで。」 と、優しく犒われた。 天理教の歴史の中で、神様から高い期待をかけられた最初の人間がこかん様ではないだろうか。おふでさきには、 このものに月日よろづのしこみする それでめづらしたすけするのや とある。「このもの」とはこかん様のことだ。「よろづのしこみ」をすると仰るくらい期待のかけられていたこかん様に対して、神様は少しの人間思案もお許しにならなかった。 信仰が進めば精神的にも物質的にも楽になっていくというのが、普通の宗教に対する考え方だろう。しかし、天理教は成人すればするほど苦労しなければならない。神様から期待されている人間は、心が少しブレただけで厳しいお手入れを頂く。成人すればするほど、人間的な生き方はできなくなる。こんなふうに師匠が仰っていたのを思い出した。 いくら信心しても苦労ばかりしている人は、おそらく神様からの期待が大きいのだろう。高々十年ほど信仰しただけで、これだけ楽な生活を送っていることを、少し恥ずかしく思う。