天然自然の道は優しい道ではない
おさしづに「天然自然」という言葉が出てくる。言葉の響きは優しいが、内容は非常に厳しい。例えば、
この道の掛かりは、先ず一代という、どうでもこうでも不自由難儀の道通らにゃならん。不自由の道通るは天然自然の道という。神の望む処である。他にも、
心だけという、心に働き、心にどれだけ言い聞かした処が、皆んな心から苦しみ通る理は、天然自然の道という。どうでもこうでも、艱難不自由通りてくれるは、一代の道の台と言う。とある。天然自然の道は難儀不自由であり、艱難不自由なのである。これを神様は望んでおられる。これが天然自然なのであれば、一代はとにかく苦労しなければならないということだろう。しかし、その後は天然自然で成ってくるのだから心配いらない。