おぢばの学校が減るそうだが
おぢばの高校は天理高校だけになることはすでに決まったことだが、先日、教会へ行ったときにこの話題になった。
教校学園をなくす理由は、もちろん多くの理由があるだろうが、一つには組織が出来上がりすぎたからだそうだ。彼が言うには、いつ何をするのか、それが完成されていて、その通りにすれば何も困らず運営ができる。かつて存在した付属高校や第二専修科も同じだと彼はいう。
一つ一つの手続きは試行錯誤の末に作られたものであり、すべてに意味がある。もちろんその意味を伝えながら手続きも伝えていくわけだが、意味は忘れられても手続きさえ分かれば運営はできる。人から人へと伝えていくのだから、組織が長く続けば、そのうち意味のわからないことだらけになってくると。
さて、見るも因縁だ。自分の周りにもそんなことがないだろうか。
多くの行事が中止されている今だからこそ、一つ一つの意味を考えてみるのも良いかもしれない。