何も考えずに尽くすのが良い
何も考えずに心を尽くしていれば良いのだと思う。心通りの御守護と教えられるわけだが、つまり、やったらやっただけ御守護をくださるということであって、その御守護はどこに現れるのか分からない。
誰かのために心を尽くしても、その相手のためにならなかったと思うようなこともあるし、喜んでもらおうも思ってやったことで怒らせてしまうこともある。しかし、それは心通りに御守護くださるのだから気にしなくて良い。もちろん、「誠の中のほこり」にならないよう気をつけることは必要だが、自分のためではなく、人のため、神様のためにやったことは、必ずどこかに現れてくる。
それが人間には分かりづらいのだろう。これだけやったのにダメだった、などと思う。こうなってほしいという人間思案を持って心を尽くしていると、御守護があったとしても、自分の思うものと違ったときに、不足が出る。まいた種は必ず芽を出すのだが、人間が望んだところに芽を出すのではない。神様から見て、その人に最も良いところに芽を出させてくださる。
ありがたいなぁ。