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逸話篇二十四 よう帰ってきたなあ

 逸話篇 二十六 目が見えなくなった彦太郎が、おやさまに救けてもらう話である。彦太郎はおやさまに このままで越すことかないません。治して下さるのでしたら、どんな事でもさしてもらいます。 と申し上げてご守護をいただくわけである。この「どんな事でもさしてもらいます」というところに神様はご守護くださるのだろう。 「私はこういう資格を持っていますので、それを生かせるような御用を勤めさせていただきたい」などと言ってみたり、「この御用なら勤めさせてもらいます」などと言ってみたりするのが人間心であり、御守護はいただきにくい。 「どんな事でも」と神様と約束してしまうと、もちろん不得意なこと、嫌なこと、都合の悪いこともしなければならないわけだが、それを承知の上でどんな事でもさせていただくという心に神様は御守護を下さるのだろう。 特技を生かして仕事をするのは良いことだとは思うが、それは人間の社会の中のこと。特技を生かして御用を勤めさせていただこうなどと考えるべきではないと私は思う。

逸話篇二十一 結構や、結構や

 悪いことが起こるのは、決して悪いことではない。と言うと、意味がわからない人もいるだろうが、恐らく信仰者なら理解できるはずだ。 逸話篇の二十一「結構や、結構や」では、山中忠七先生が洪水の被害に遭われる。おやさまに伺うと、 さあ/\、結構や、結構や。海のドン底まで流れて届いたから、後は結構やで。信心していて何故、田も山も流れるやろ、と思うやろうが、たんのうせよ、たんのうせよ。後々は結構なことやで。 と、おやさまは仰った。先生の前生がどのようなものなのかは分からないが、これによって前生の因縁を納消できたのだから、あとは余計な埃を積まずにたんのうしておけば良いという意味で、おやさまは仰ったのだろう。 神様の世界に運や偶然というものはなく、全てには理由がある。悪いことが起こるのは、もちろんその因縁があるわけだが、たんのうさえしていれば、神様は因縁を少しずつ切ってくださる。 悪いことが起こるたびに、魂は少しずつ澄んでいき、陽気暮らしへと近づいていくのだから、ありがたいことだ。

バリスタアイの水切れランプが点灯して停止する

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 バリスタアイの水切れランプが点灯して止まるという現象が続いた。水は十分にあるにも関わらずだ。掃除しても治らない。いろいろ試してみたが、サポートセンターに電話をして解決した。 詳しいことはわからないが、「撹拌部」というところが詰まっているそうだ。電話をすると、撹拌部を掃除するためのものを送ってくれた。 使い方の書かれた紙もついていたので、そのとおりにやってみると、たしかに治った。良かった。 ちなみに、バリスタアイは買ったものではなく、リースとかでもない。何のキャンペーンだったか忘れたが、ゴールドブレンドを3つ買ってもらったやつだ。それでもサポートが対応してくれるのはありがたいなぁ。