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逸話篇一三二 おいしいと言うて

 最初に宿しこまれた子供の数が九億九万九千九百九十九であったわけだが、現在の人口はこの数を大きく上回るのを、子供のときに不思議に思った。一応のところは解決した。逸話篇の132だ。 皆んなも、食べる時には、おいしい、おいしいと言うてやっておくれ。人間に、おいしいと言うて食べてもろうたら、喜ばれた理で、今度は出世して、生まれ替わる度毎に、人間の方へ近うなって来るのやで。(中略)各地の講社から、兎、雉子、山鳥などが供えられて来た時も、これ と同じように仰せられた、という。 こうやって人間が増えていったと考えることはできる。現在の人口を考えてみると、人間は長い間、おいしいと言って食べてきたのだろう。 おたすけにしても丹精にしても、成人してもらわなければならないわけだが、口で言って分かってくれないことは多い。こんなときには「喜ぶ」のが良いと、この逸話は教えてくれているように思う。「喜ばれた理」で、魚でさえ人間に近くなるわけだから、人間でも成人してくださるだろう。 理の子がなにか悪いことをしたと言って腹を立てたり、すべきことをしないと陰口をたたいたりしていると、成人してくださることはないだ。理の子が何をしてもこちらは全力で喜ぶくらいにならなければならない。不足を言っていてたすかってもらえるはずがない。

逸話篇四六 何から何まで

全文を引用する。 ある日、信者が大きな魚をお供えした。お供えがすんでから、秀司が、増井りんに、「それを料理するように。」と、言い付けた。りんは、出刃をさがしたが、どうしても見付からない。すると、秀司は、「おりんさん、出刃かいな。台所に大きな菜刀があるやろ。あれで料理しておくれ。」 と言った。出刃はなかったのである。 りんは、余りのことと思ったので、ある日お暇を願うて、河内へもどった。ちょうど、その日は、八尾のお逮夜であったので、早速、八尾へ出かけて、出刃庖丁と薄い刺身庖丁と鋏など、一揃い買うて来て、お屋敷へ帰り、お土産に差し上げた。秀司もまつゑも大層喜んで、秀司は、「こんな結構なもの、お祖母様に見せる。一しょにおいで。」 と促した。 教祖(おやさま)にお目にかかって、留守にしたお礼を、申し上げると、教祖は、それをお頂きになって、 「おりんさん、何から何まで、気を付けてくれたのやなあ。有難いなあ。」 と、仰せになって、お喜び下された。りんは、余りの勿体なさに、畳に額をすり付けて、むせび泣いた、という。 神様の御用を勤めさせていただくとき、必要なものはすべて自分で揃えるくらいの心でいれば、おやさまは喜んでくださるのだろう。 魚をさばく包丁がないからと言って、「お屋敷の会計で包丁を買ってください」と、増井りん先生は仰らなかった。誰かにお金を渡して包丁を買って来るように言いつけたわけでもない。自分で歩いて行き、自分のお金で包丁を買って、それを使って御用を勤められたのである。 足りないものがあれば自分で揃えてお供えすればよい。「もの」だけではない。こういう人が必要だと思えば、自らがそうなれば良い。足りないものに気がつくと言っても、自分で気づいているのではなく、神様が気付かせて下さっているのであって、そこが徳を積むチャンスだ。 組織が大きくなり、立場ができてくると、こういうことを忘れてしまう。必要なものは会計から出してもらおうなどと言ったりするものである。 「お守り所のコーヒーがないで!」と青年さんに怒鳴り散らす役員など、一ミリも見習わなくて良い。