一一四 よう苦労して来た かしものかりものの理の本質は因縁
逸話篇の114「よう苦労して来た」に泉田藤吉先生の話が出ている。初めて読んだときに違和感を覚えた。が、最近、謎が解けた。ある先生の一言だ。「かしものかりものの理の本質は魂の連続性だよ」、この一言だ。つまり、本質は因縁である。このことを踏まえて逸話篇を読むと分かりやすい。 泉田藤吉先生は十三峠で追い剥ぎに遭遇する。その時、かしものかりものの理が頭に浮かんだ。追い剥ぎが「前生に貸したものを早く返してくれ!」と言っているように思ったのだろう。 それで、着物と財布を差し出した。「前生からお借りしていたものをお返しします。ありがとうございました。」、という気持ちだったに違いない。 しかしそれは泉田先生の勘違いであって、追い剥ぎは何も盗らずにその場を去った。先生は着物を着て再びおぢばへと歩き始めた。 こういう話であろう。かしものかりものの理が心におさまるというのはこういうことなのだろう。