投稿

8月, 2020の投稿を表示しています

一一四 よう苦労して来た かしものかりものの理の本質は因縁

 逸話篇の114「よう苦労して来た」に泉田藤吉先生の話が出ている。初めて読んだときに違和感を覚えた。が、最近、謎が解けた。ある先生の一言だ。「かしものかりものの理の本質は魂の連続性だよ」、この一言だ。つまり、本質は因縁である。このことを踏まえて逸話篇を読むと分かりやすい。 泉田藤吉先生は十三峠で追い剥ぎに遭遇する。その時、かしものかりものの理が頭に浮かんだ。追い剥ぎが「前生に貸したものを早く返してくれ!」と言っているように思ったのだろう。 それで、着物と財布を差し出した。「前生からお借りしていたものをお返しします。ありがとうございました。」、という気持ちだったに違いない。 しかしそれは泉田先生の勘違いであって、追い剥ぎは何も盗らずにその場を去った。先生は着物を着て再びおぢばへと歩き始めた。 こういう話であろう。かしものかりものの理が心におさまるというのはこういうことなのだろう。

ブログはじめました

 コロナで大騒ぎしている相場を見て、居ても立っても居られなくなってしまった。久しぶりに証券会社のウェブサイトにログインして取引をした。 もちろん、コロナの大暴落で当初は大赤字。まあしかし、そういうときこそチャンスだ、と思いながらコツコツ売り買いしていたら、昨日あたりからプラスに転じた。 そんなわけで、少し余裕ができてきたのでブログに色々書いてみることにした。

匿名だから気をつけるべき

 蒔いた種は必ず生えるわけだが、それがどう育つのかは蒔き方やその後の丹精によって変わってくる。石の上に種を蒔けば、生えてはくるが育ちはしない。見えるところに蒔いても意味がなく、正しく蒔けば土の中に埋もれて、見えることはない。 見えなくても必ず生えてくるわけで、その後は神様の御守護で勝手に大きく育つ。蒔くだけ蒔いて、あとは何もしなくて良い。 良い種を蒔いたのなら、誰にも見られないようにそっとしておけば良いわけで、自分がこんな素晴らしいことをやったと宣伝する必要はない。 悪い種を蒔いたのなら土の中においておかずに、掘り返して人目につくところへおいておけば良い。私はこんな悪いことをしました、申し訳ございませんでしたと頭を下げておけば、わるい種から芽が出ても枯れてゆく。 匿名で人に嫌な思いをさせてしまわないように気をつけなければならない。悪い種を蒔いて、その種を見えない土の中にきちんと隠しておけば、もちろんきちんと生えてくる。そのまま放置して自然に任せて育てるから、気がついたときには大木になっている。恐ろしい。 匿名で良いことをしよう。 良い種を蒔いて、そっと土の中に埋めておこう。 気がついたときには、大木に育っているだろう。

言うたらあかんがな

ある偉い役員先生がお話しくださった。陰の徳という話だ。だいたいこんな話だった。 陰で良いことをすれば、それは自分の魂の徳になるのですが、しかし、お礼を言われたり褒められたり、あるいはお金や物をもらったりすると、それで帳消しになってしまいます。ですから、陰で良いことをするように心がけていただきたい。私もこの何十年の間、陰でこれこれこういうことをずっと続けております。 と、詳しく説明してくださった。 言うたらあかんがな。