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理を立てていれば良い

逸話篇の七四より 逸話篇の七四より 人間の義理を病んで神の道を潰すは、道であろうまい。人間の理を立ていでも、神の理を立てるは道であろう。 「人生とは選択の連続である」と言ったのは、確かシェイクスピアだったと思うが、彼らはいつも難しい選択ばかりで大変だ。 この道を歩む我々は、迷ったときには理の立つ方を選んでおけば良いのだから、ほとんど何も考えずに済む。 何ともありがたいことだ。 人間の義理を病んで神の道を潰すは、道であろうまい。人間の理を立ていでも、神の理を立てるは道であろう。 「人生とは選択の連続である」と言ったのは、確かシェイクスピアだったと思うが、彼らはいつも難しい選択ばかりで大変だ。 この道を歩む我々は、迷ったときには理の立つ方を選んでおけば良いのだから、ほとんど何も考えずに済む。 何ともありがたいことだ。

前生因縁のさんげはたんのうだけではない

「たんのうは前生いんねんのさんげ」という言葉はあまりにも有名なのだが、たんのうして通るだけなら、何も天理教を信仰する必要はない。どんなことが起こっても、それを前向きに捉えて受け止めるというのなら、世間で言うプラス思考と何も代わりはない。因縁ということを理解することで、不都合なことが起こった時に、「これがさんげになる」と考えれば、ただそれを受け入れやすくなるだけのことだろう。 「たんのうは前生いんねんのさんげ」だが、前生いんねんのさんげはたんのうだけではない。「人助けたら我が身助かる」というのだから、たんのうを中心において守りの信仰をするよりも、おたすけを中心において攻めの信仰をするほうが、因縁納消の道を通りやすいのではないかと。